島崎のことが好きすぎる
この世のほとんどの暴力は、自分がその当事者になるまではピンと来ない。それがおぞましいものであることは教わってきたけれど、実際のそれが何色で、どんな匂いで、どんな味で、どんな顔をしているのかは誰も教えてくれない。もし教わるとしたら闘争が始まってからだろう。
私の平和な日常は、そういう「わからなさ」とセットだ。だから戦場を知る人に「わかる」は口が裂けても言えない。わかりようがないのだ。でも幸せになってほしい。
『平和の国の島崎へ』の“島崎真悟”は、戦場から日本に戻ってきた戦闘工作員。彼に対して私がずっと感じるのは、底知れなさと、どぎつい暴力の気配と、それらを塗りつぶすくらいの「幸せになっておくれ」みたいな感情だ。つまり島崎のことが好きすぎる。好きなマンガの登場人物は?って訊かれたら「島崎」と即答する。
日本で暮らす中年男性・島崎の日本語がどうしてたどたどしいのか、そして島崎が忘れたい「あのばしょ」とは何なのかを紹介する。
みなさんにもこの男を好きになってもらいたい。大人しい島崎も、大人しくない島崎も、とてもいい。
30年ぶりの日本
国際テロ組織の“LEL”が島崎を拉致したのは30年前。当時彼はまだ9歳の子どもで、日本に返されることはなく、海外で戦闘工作員として育てられた。
いくつもの戦闘作戦に投入され戦ってきた島崎は、やがてLELを脱出して祖国の日本へ帰ってきた。本作の日本には、島崎と同じような身の上の日本人が複数名いるようで、彼らは“コロニー”と呼ばれる寮で集団生活している。
「フール」はエジプトやスーダンで親しまれている煮込み料理らしい。おいしそう。そして寮で暮らす元LELの人びとにとってフールは日本食よりも馴染(なじ)み深い料理。食事、人間関係、仕事。一人の人間を取り巻く日常が何でできているかがよくわかるマンガでもある。
島崎は、日本での生活をずっと夢見て生きてきた。
これは知人の紹介で漫画家のおうちへ遊びに行くときの様子。先ほどの「ただいまもどりました」という丁寧な挨拶といい、鼻歌を歌いながら歩く様子といい、島崎はどことなく幼い。
漢字の読み書きの能力は9歳で止まったまま。だから彼のセリフはすべて平仮名混じり。
でも39歳の元戦闘工作員だから、持ってる道具は穏便なのにポーズを決めると戦場の気迫がダダ漏れ。島崎はものすごく強いのだ。言葉だって今は日本語に不慣れだけどトルコ語は流ちょうに話せるし。
島崎の日常は政府関係者と思しき人たちによる監視付き。国際テロの被害者で、やっと日本に帰ってきたのに、その生い立ちの凄(すさ)まじさゆえに危険視されている。
まあ、こういうことも朝飯前だし。なお、これは島崎のすごく親切な行いのひとつ。ホントいいやつ。そんなこんなで、彼が憧れる平和な日本での「日常」は、手に入っているようで、実はそうでもない。
元戦闘員の日常
漫画家の仕事を手伝ってみたり、大好きな絵を描いたり、喫茶店でアルバイトをしてみたり。島崎はコツコツと日常を築いていくが、国際テロ組織に30年囚(とら)われていた戦闘員としての彼は消えない。彼を放っておかない者たちがワラワラやって来る。
こんなふうに日常が暴力の世界へシームレスに切り替わることだってある。このなめらかさが怖い。
「俺たちは罪深い」と自分たちで言ってしまうような傷も負っている。で、戦う強い島崎を見ると「これこれ!」と読んでる私たちも思っちゃうし、ヒリヒリしたアクションを期待してしまうのだけど、同じくらい島崎の人となりも知りたくなる。
“現地”の塩コーヒーのおいしさを思い出す島崎だとか、それを喫茶店のマスターに飲んでもらいたいと考える島崎だとかを、すごく愛しいと思うのだ(本作はコラムもいい。塩コーヒーのコラムは何度も読んだ)。
そして塩コーヒーの思い出がちゃんとあるということは、戦場の記憶もちゃんと彼の中に根付いている。その気になれば彼はいつだって暴力を取り出せる。
暴力の世界で30年間生きてきた島崎の内面はどうなっているのだろう。「好き」は「あなたを知りたい」と同義だ。私はこの底知れない男のことをもっとたくさん見たい。だから2巻が待ち遠しい。できれば平和な様子を知りたいのだけど、ちょっと難しそうだ。
このあとのページの島崎の言葉と表情はいろんな人に読んでもらいたい。あえて引用は控えるが、思わず手で顔を覆ってしまった。途方もない暴力と共に育った男が、どうやって心をまもって生きてきたかを、彼の30年を想像したからだ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。