美容を知らなかった時にはもう戻れない
さえない1日だったとしても、その日の終りにていねいにスキンケアをすると「まあ悪くないかな」と思える。
自分を大事にするのは悪い気がしない。
新しい化粧品を買った日はずっと気分がいい。はやく試したくて帰りの電車の速度がもどかしい。
まさにこんな感じでスキップしたくなる。
自分によく似合う口紅を見つけるとお守りのように大切にしたくなる。
この「いいじゃん」な瞬間を味わうために、私は口紅のスウォッチを毎シーズン穴が空くほど見るんですよ!
『僕はメイクしてみることにした』はメンズ美容に目覚めた人の物語。38歳の“前田一朗”が美容を通じて知っていく世界は、私がかつて通った道でもあり、知らない場所でもあった。
たとえば一朗のこんな言葉にウンウンうなずく。
私も「メイク飽きちゃったな」って思う時ある! そしてマスクをしていようが日焼け止めだけは絶対に欠かさないのも同じ! 気が合うな一朗。
そしてこんな言葉にドキッとする。
美容を知らなかった時にはもう戻れない。気がつかなかったけれど、本当だ。美容は人生の途中から始めた行為なのに、もはや私の日々の生活や心に深く根を張っている。
ということで、一朗が足を踏み入れた美容の世界を紹介しよう。楽しいことばかり……でもないのだ。本作は「いいねいいね」と美容が持つパワーと楽しさを弾むように描くだけじゃなく、男性がメイクすることにまつわる抵抗感もすくい上げる。
ゴシゴシ洗わないで!
一朗は自分の疲れ切った顔にショックを受けたことをきっかけに、ドラッグストアにならぶ化粧水を使ってみようかなと思い始める。が!
同じ値段でよく似たボトルなのに「さっぱり」と「しっとり」がある。自分に合うのはどっち? そう、美容はつねに選択の連続なのだ。
そうやって選んだコスメが自分に合っていたときの喜びといったら! 一朗も初めて使ってみた化粧水によって肌が少しもちもちに。手応えがあるとうれしいものだ。こうして一朗は美容の世界に少しずつ足を踏み入れていくことに。
さらに、コスメ好きの“タマ”と知り合ったことで一朗の美容道は一気に前進する。
タマ師匠による洗顔講座は万人に読んでもらいたい。「ゴシゴシ洗っちゃだめ」は美容に関わる人から皮膚科医まで大勢が口を揃えて言うこと。
でも、どうして一朗はゴシゴシ洗うのが是と思っていたの? このエピソードでは今まで気がつかなかった男性向けコスメの偏りがちな世界も垣間見た。本作の原案・鎌塚亮さんによるコラムでも触れられている。
「女だから」「男だから」と過剰に偏ると居心地がよくないですよね。
メイクしてもいいし、しなくてもいい
一朗は、「いいかも!」と思うと一気に突き進む元気で素直ないいやつなんです。
ということで、スキンケアの次はベースメイクに挑戦。各話で紹介されるアイテムを眺めるだけで楽しい。納得のラインナップなのだ。実力派揃い。
ページ左下の組み合わせも参考になる。メイクを始めたての頃は律儀に全部塗っちゃってたもんなあ。
ベースメイクの次はカラーメイク。一朗もあれこれ口紅を試す。ファッション誌のスナップ写真やコスメの広告ではすでに見慣れた男性のルージュだけど……?
一朗が直面する男友達からの「引いたんだけど」に胸が痛くなる。「その化粧、似合ってないよ」よりも痛烈だ。そして私だって「男性のルージュは広告では見慣れているけれど」と前置きしてしまった。胸の奥でくすぶるこの悲しい気持ちはなんなんだろう。
「メイクはどこまでやってOK?」なんて、「メイクは絶対しなきゃいけない」と誰かに言われるのと同じくらいバカバカしい。美容はつねに選択の連続で、その選択を誰がするかって、自分自身以外ありえる?
だから「やらない」選択肢だってある。ノーメイクを選んだ"真栄田さん"の言葉がしみる。
やりたくなったらやればいいし、やらなくたっていい。やっぱり、自分で選択できるって、心を豊かに保つためにすごく有効なことなのだ。
何を使えばいい? こんな姿になりたいけど方法は? 『僕はメイクしてみることにした』は、メンズ美容の実践的入門書でありつつ、「なぜ自分はメイクしてみることにしたの?(しないことにしたの?)」をていねいに描く。
メンズ美容のこんな心地よい景色を私は知らなかったなあ。美容って実は心に一番よく効くのを思い出しました。
(C)糸井のぞ・鎌塚亮/講談社
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。