90年代を駆け抜けた古のオタクたち
『古オタクの恋わずらい』のようにオタクが少女マンガのヒロインとなることは、舞台が令和の今ならば、お花にいろんな色や形があるのと同じようにバリエーションのひとつです。現代は推しに愛と情熱をかたむける人が大手を振って生きていられる時代だと思います。でも1995年はどうだったんでしょう。
Twitterもスマホもなかったあの頃、オタクはマイノリティかつアングラな存在としてマスメディアで描かれていました。サブカル文化史を紐解くとそのあたりのキツさは必ず言及されています。そんな世相だから教室での扱いも朗らかじゃなかったはず。
でも元気なんですよ、めちゃくちゃ元気。なぜなら、教室の片隅で静かに棲息して、ときどき酷い偏見にさらされても、オタクはそうかんたんにオタクをやめたりしないから。
沼、ここにあり。
それにオタク同士が響き合うネットワークだって存在していました。(テレホタイムは混雑していたし、なんなら便箋と封筒でやりとりをしていましたが)
『新世紀エヴァンゲリオン』のエンドクレジットで胸が震えて、いてもたってもいられなくなった人、いっぱいいるはず。あと、このマンガで描かれているように、エンドクレジットになってやっと「ハッ! これすごい!」ってなるんですよね。本編は夢中で見てるから、最後になって我に返る。好きなページです。
ということで、孤独だけど同志がゼロでもない。いじめられてもやめたくない。オタクが滅ぶなんてありえないんです。
わかる人にはわかるこの懐かしい世界。細かすぎてぜんぶ愛しい。そんな90年代の気高きオタクが教室で恋をしたらどうなるんでしょう。しかも恋の相手はオタクではなかったら。
そしてオタク嫌いを公言する人なら。
無惨。カラスの鳴き声がむなしい……。古(いにしえ)のオタク戦士がどんな恋をして、いかに「オタク」という呪いを解いてゆくか。必見です。
決して口には出せないが、ルカワくんがそこにいる……!
“佐東恵”はアニメや漫画が大好きな高校生。仙台から神奈川の高校に転校してきた恵は、自分がオタクであることをひた隠しにしています。
オタクであることがバレてしまったら自分の教室での居場所は消えると確信しているから。そんな恵の作戦のおかげなのか、教室のみんなは友好的。なんと男子からも話しかけられます。
オールバックでヤンキーのような風貌の“梶正宗”は恵にとても親切。こんなこと、オタバレした仙台じゃ考えられなかった! しかも委員長はバスケ部員。部活中の姿もかっこいい。そしてただかっこいいだけじゃなく……、
恵には委員長が『SLAM DUNK』のルカワくんに見えるわけです。でもそんなこと絶対に言えない。だってオタクである自分を隠しているから今の学校生活が守られていると信じているから。
そうは言っても恵のオタクムーブが時々顔をのぞかせます。
ああ、大好きな漫画のことを委員長に話せてすごく幸せ。(早口だっただろうなあ)
少女マンガのような世界が恵の現実にもやってきて、恵は何を願うか。そう、この人になら自分の本当の姿を話せるかもしれない。自分のことを知ってもらいたい。うまれて初めての恋をするんです。
オタク(私)を受け入れてくれる男子なんていない?
が、先に紹介したとおり、リアル・ルカワこと委員長はオタクが大嫌い。オタクの私を受け入れてくれる男子なんてどこにもいない、でも委員長が好き……。恵のなかで、オタクの自分と恋をする自分とが正面衝突します。
さあ、どっち! ああ、なんでこんな極端なことに!
たいていの恋ってちょっとした病気みたいなものなので、恵のイカれた葛藤は無理もないことだとは思いつつも、90年代のオタクにグリグリと押し付けられていたであろうスティグマを考えると切なくなります。でも希望もあるんですよ。
「いつも自己完結してばーっと先に進めちゃう」。オタクあるある……そう考えちゃう私にも、少なからずの偏見と自虐がついてまわる。委員長がこの次のページで恵に伝えた言葉が私は忘れられません。ふわっと世界が広がってスローモーションに変わるんです。
古のオタクが必死で生きた95年があるから今があるんだよなあ。アツい。2巻も楽しみにしています。できれば紙のコミックで読んでください、そしてカバー裏まで見届けてほしい!
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。