“推し”のために生きる
お金と時間と母性。この3つのうち2つを持て余すと「推し」に溺れるのではないか。少し前までそう思っていました。でも大間違いでした。余ってる余ってないの問題じゃない。カツカツだろうがなんだろうが、私たちは推しを見つけてしまうことがある。
この人のために生まれてきた、この人が輝き続けるためならなんだってやる。自分は格安通販で見つけた数百円のスカートを履いてでも、この人のためにCDをたくさん買いたいしなんならオリジナルデザインの飛行機だって飛ばしたい。そうやっておのれの忠誠心を育てに育て、やがて自分の物心両面を大爆発させるのは、ものすごく気持ちのいいことだからです。
そう、オタ活ってめちゃくちゃ気持ちいいんですよ。
経済を回しながら自分もフル回転。生きていくためのガソリンであり、ガソリンのために生きていく。一度サーキットに入ってしまうと永久に走り続けることができる。
でも、このサーキットがぶっ壊れることってあるんでしょうか。
ああ人生どうなっちゃうんだろう。『推しが辞めた』は、そんなクライシスの一例を教えてくれます。
「すいませんCD50枚ください」
“みやび”は都内で1人暮らしをしている25歳。
派遣の手取りは14万円。そこに副業のデリヘルで稼いだ30万円をプラスオンして推しのために生きています。なお貯金残高は5万円。
どうしてこんなにお金のことをくどくど書くかというと、推しに会うにはお金がかかるからです。
こちらがみやびの推しの“ミクくん”。ボーカル&ダンスグループ“6hourS”のリーダーです。みやびは、ミクくん推しになってからの7年間、ずーっと6hourSのライブに通い、握手会でお金を積み続けているのです。たとえばミクくんと10秒間握手するにはCDを2枚買う必要があります。なお、握手中にお話できてもできなくても10秒後にはスタッフに引き剥がされちゃう。『推しが辞めた』はこのあたりのオタ活の描写がリアル。
言いたいことを言えないまま15周目。こうして、みやびがデリヘルで5時間かけて稼いだ5万円はミクくんとの4分間と50枚のCDに変わるのです。
みやびにはオタ活仲間がいます。
それぞれ推している人が違うんですね。キャラ設定と推しの組み合わせが絶妙。安居酒屋に集まってはめいめいが推しへの思いを語り合って楽しそう。
みやびのお金の出どころは内緒。(オタク用語の解説が親切かつおもしろい)
というかオタ活の活動資金については各自が事情を抱えています。
どうにかこうにかしてお金を調達し、推しに注ぎ込んでいるのです。みんな毎日精一杯。
そんな一生懸命な日々をぶち壊すかのような知らせがみやびに届きます。みやびの大事な推しがグループを脱退するというのです。翌朝のみやびは……?
わかる。こうなる。オタ活でハマる沼とはまったく異質な暗い海の底。
真実を知りたい
急に芸能界から消えてしまったミクくん。ネットで飛び交う憶測を見るのもつらいし、でも見ちゃうし、つらくてしょうがない。
ドロドロになった心を引きずりながら、オタ活仲間に支えられてなんとか毎日をやりすごし、ついでにデリヘルも辞めることに。
ところが、最後の最後についた客が芸能関係者だったのです。
ミクくんが辞めた理由をなにか知っているかも……? みやびのミクくんの真実を探す旅が始まります。だいぶ危なっかしい。
一般的なオタ活ならば、推しが辞めたあとの世界はガツンと一時停止して、ゆっくりと姿かたちが曖昧になってやがて死んでいくはず。でもみやびはオタ活のサーキットの場外に飛び出してもなお爆走し続けることに。
なんで辞めたの、なんでいなくなっちゃったの、私は真実が知りたい。みやびのミクくんへの思いはその一点に集中していきます。ミクくんもう一般人なんだけども!
推しへの愛は恋愛感情なのでしょうか。たいていは似て非なるものだと考えます。みやびだって恋人になるためにCDを50枚買っていたわけじゃないはず。恋愛に必ずついてまわる愛情のシーソーゲームが、推しとファンとのあいだでは発生しません。ただただ愛(とお金)を、湯水のように注ぎ続けばいいだけ。奥へ奥へと進むのみ。沼とはよくいったものです。
そして、推しが辞めてもなお魅惑の沼は際限なくみやびを吸い込み、やがてリブートさせてしまうのです。辞めたアイドルの消息を知るのって、やっちゃだめだけどやってみたい世界。
読み終わったあとはぜひ表紙を見直してほしいです。みやびの前髪に引っかかった銀テ(ライブで舞い散る銀色のテープ。アイドルからの直筆メッセージが書き込まれていることも)に書かれた文字を読んで私はお腹の奥がズーンと痛みました。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています