ひとが「仕事」をやめたくなるとき
『殺し屋やめたい!』のヒロイン“ローズ”は殺し屋をやめたいのだという。題名のまんまだが、まずはその話をしないことには私はこの作品を紹介することができない。
ローズはどんな殺し屋か。
ローズの「仕事ぶり」は100点満点。とても丁寧かつ無駄がなくて“雇用主”からの信頼も厚い。生活感あふれるバスタブにターゲットの頭を沈めながら頬杖をついて何を考えているのだろう。
ローズは一人暮らし。
仕事を終えて家に戻り、変装のためにかぶっていたウィッグをはずし、何かの薬と一緒にお茶を一口。体には無数の傷跡。テレビはついさっき自分が済ませた仕事のことを報じている。彼女の暗殺は静かなのだ。このページがとても好きだ。
給料もいいし、職場からの評価も高い。殺人に快も不快もない。でも仕事を遂行するために気をつけないといけないことは多いし、同僚とグチを言い合って互いを労うこともできない。仕事はちっとも楽しくない。生きていくために淡々と働いているだけ。
そんなローズが「殺し屋やめたい!」と願うのだ。「!」までつけているので、もう本気でやめたい。でも……、
わかる、こんなにシステマチックな職場なのに退職までのフローが全然わからないよ。人を吊るしながらぼんやり思案する自分のよくわかんない未来。悩めるプロフェッショナルだ。
ではなぜやめたいのか。
そう、彼女は「恋」をしている。仕事のアウトプットにも恋の影響がちょっと出ているらしい。
「恋か仕事か」。仕事なんかより恋のほうが圧倒的に楽しくて興奮する。ローズは、胸の内ではすでに「恋」を取っているように見える。ではどんなふうに「恋」の優先度を上げていくのか。なんせ職種が職種ですので、やりくりが大変そう。
例えるならこれは縦糸で、それもかなりビビッドでそれだけですでに美しい縦糸なのだけど、ここに重なる横糸が負けじと味わい深い。『殺し屋やめたい!』は、なんだか見たことのない織り物のようなマンガだ。ざらっとハードなのにやわらかい。「横糸」のいくつかを紹介したい。
このままじゃ恋人に会えない!
ローズには少し前から“恋人”がいる。交際は順調で、2人で時間を見つけては逢瀬を重ねている。
来週のデートに備えてやっておかないといけないことがローズにはある。
教会に足を運び、神父さまに告解おこない、ゆるしを得るのだ。恋人には少しでも綺麗な私をみてほしい。罪深い私のままでは恋人に会えない。だから教会で清めてもらう。デートに臨む乙女のマインドとしては何ら違和感がない。
とはいえ神父さまも大変だ。移民の女が毎回「人を殺しました。殺し方はこんな感じです。仕事なんで仕方ないんですけど罪深いなって思ってます」と告白するのをじっと聞き「あなたをゆるしましょう」と言わなきゃならないからだ。
そりゃタバコもやめられないだろう。こちらの神父さまは“白舟神父”。本作の教会と神父は移民にとって精神的な支えとなっている。白舟神父は移民であるローズの罪を自分の胸だけにとどめているのだ。
ローズの恋人の“紅華(べにか)”は、ローズよりも年下の女子学生だ。
ローズは、自分を精一杯きれいにしたつもりだけど、つもりだけ。働けば働くほど罪がふえ、ふたりが会える時間は減る。紅華に自分の本当の仕事内容はひた隠しにしている。やがて、ド定番のあのセリフが紅華の口から出るのだ。「仕事と私、どっちが大事なの?」と。
そりゃ恋人が大事だよ! でもね、仕事ってそんな簡単にやめられる?
ローズは仕事にノーを言ったことがない。立場の危うい移民であればなおさらだ。生死に直結している。
でも、かくしごとをしたまま恋を続けるのは、仲が深まれば深まるほど、無理がある。
ああ、ファーザー、どうしたらいいの。
そして、紅華も大切な人に「かくしごと」をしている。自分の恋人が同性であることを自分の父親には言えないでいるのだ。
でも恋心についてはありのままに語る。とってもいい親子。いつか大切な人を紹介できるといいよね。
そうこうしているうちにローズには厄介な仕事が舞い込む。
ああ、やめるタイミングがどんどんむずかしくなる……。恋と仕事で板挟みになるローズ、父に恋人のことを正直に言えない紅華、そして告解を受け止める神父さま。それぞれの事情がゆるやかに乱れるが、ただただ「殺し屋やめたい!」の1点に収束していくのだ。見事です。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。