“残された人”になる可能性を考えたことは?
そんなことになるまで想像もしないのだけど、災害は普通に起きてしまうし、疫病も普通に来てしまったし、だから、もし“人生のパートナー”がいたとしても、急にひとりぼっちの人生に突入することは、誰にでも起こりうる話だと思う。「まさか」の事態はたぶん来るからだ。
「そりゃ歳を取ったらいつかは……」くらいは多くの人が覚悟しているかもしれない。でも、まだまだ人生が続きそうな40代や50代で1人になったらどうすればいいのだろう。
死別・離別で独身となった40代50代は、日本に300万人以上もいるのだという。
『没イチ』の主人公“学(まなぶ)”もそのうちの1人だ。半年前に妻“愛(めぐみ)”が急死した。当時を振り返る一連の描写を読むとドキドキしてくる。轟音が聞こえてきそうなのに無音なのだ。
いつもと同じように晩ご飯を食べて、テレビを見て、お風呂に入って、寝て、朝になったら起きると思っていたのに。
亡くなる直前まで体幹を鍛えるくらい元気だったのに、翌日には亡くなり、そこに警察が立っているなんて。
就寝時の姿そのままで運び出される妻の亡骸。学は45歳で、愛は自分よりも6歳年下の39歳。まさか今このタイミングで先立たれるなんて想像もしていなかったはず。学の呆気に取られた表情が生々しい。
ああどうすれば。棺や葬儀は手順がハッキリしているから、きっとどうにかなる。でも、そのあとの生活は……?
「没イチ」とは配偶者に先立たれた人のことを指す。決して珍しくない没イチの人生なのに、想像すると途方に暮れてしまう。どう生きていけばいいのだろう。
妻の死後一度も泣かず、半年後に婚活パーティー参加は非常識?
没イチとなって半年。学は友人が参加する婚活パーティーに無理やり同行させられる。
「神経を疑います」って面と向かって言う人の神経を疑いたいが、ギョッとするのはよくわかる。でも、なんで私はギョッとしてしまうのだろう。本作は残された人を描くマンガだけど、周りの人間の描写もいい。
この婚活パーティーで学は“美子(よしこ)”に声をかけられる。彼女も没イチなのだという。次の場面が私はとても好きだ。
「亡くなったパートナーはどんな方だったのですか?」の問いかけに少し考え込んで、ふっと微笑む美子。このあとの答えが「楽しい人でした」とシンプルなのもいい。きっと彼女しか知らない楽しい思い出がたくさん蘇ったのだろう。
学は愛が亡くなってからまだ一度も泣いていない。没イチ歴4年の美子には学の状態がよくわかる。
「悲嘆のプロセス」でいうと、学はまだ第1段階にいるのだという。学の反応はごくごく普通なのだ。
心の整理と生活の整理
で、悲嘆のプロセスは始まったばかりだけど、実際の生活は待ってくれない。マンションの更新、任せっきりにしていた家事、そして遺品整理。
学の内面も大変だけど、学を取り巻く日常の激変も大変なのだ。
1人には広すぎる部屋に、散らかった食卓。何を食べて暮らしているのだろう。私もきっとこうなっちゃうなあ……。
今はまだ誰か新しいパートナーを探す気持ちにはなれない。でもひとりぼっちで生きていくのは大変だ。身も心もどうコントロールすればいいのかわからない。
ああ、シェアハウスは1つの手だな。1人だけど1人じゃない。
学はそれまで想像もしてこなかった新生活に一歩ずつ踏み出していく。今まで妻に任せっきりだった食事を自分で作ってみたり。
美子が時々さらっと口にする「没イチの私」が胸に迫る。人生が続くってこういうことか、と思う。新しいことがどんどん始まるけれど、亡くしたパートナーのことは心の大きな部分を占めたまま、行ったり来たりを繰り返して生きていく。
引っ越しがひと段落して、真っ先に愛の遺影を飾り、無造作に「4600円」を置く。この4600円の正体がわかると、とても切なくて優しい気持ちになる。「悲しみを乗り越える」とかそんなウェットな言葉だけじゃ語りきれない現実を描いている作品だ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。