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2020.10.10

レビュー

出会いは過ちだった。でも、もう引き返せない──。究極の恋愛小説をコミカライズ

「性別も超えて好きになってくれたらいいのに」

めくってもめくっても純粋な作品だ。「男とか女とかそういうのじゃなく、その人が好き」は、私の日常ではありそうでなさそうで、あるよなあと思うけれど、真正面から証明しようとすると言い淀んでしまう。だから『美しいこと』の世界に純粋さを見てしまうし、しーんと静かな湖を見つけたような気持ちになる。私がそちらに行けない場所、つまり美しい世界だ。



できればこの純粋さが壊れませんようにと願う。叶うのだろうか。

別れた女の服を着て夜の街を歩く

主人公の“松岡”には密かな趣味がある。別れた女が残していった服を着て、化粧を施し、女の姿になって夜の街を歩くことだ。



整った顔の松岡は化粧がよく似合う。すらりと背の高い美女にたちまち変身してしまうのだ。スカーフで喉仏をさりげなく隠しているあたりに松岡の工夫と本気さが伺える。松岡は男達の視線を浴びるのが快感でしょうがない。

そんな快感を密かに楽しんでいたある日、松岡は行きずりの男に襲われてしまう。みんなが思わず見とれる美女だった自分が、殴られて裸足でヨロヨロと歩いているだけで誰も見ようとしない。

そんな松岡に傘を差し出す男が現れる。



“寛末”だ。傘どころか自分が履いていた靴まで差し出し、タクシー代を渡して松岡が無事帰れるよう見送ってくれる。松岡は、男の姿のままだったら多分なかなか体験しないことをたった1晩で経験してしまう。

後日、松岡は自分を助けた親切な男が同じ会社で働いていることを知る。


 
要領が悪く、気が弱そうで、会社から評価されていない男。社員全員が見ているところで年下の上司から怒鳴りつけられるようなタイプの人物だ。

松岡は、自分にあんなによくしてくれたのに毎日ちょっと辛そうな寛末に「お礼」がしたくて、再び女装して寛末の前に現れる。



声を出すと男と気づかれてしまうから、松岡は自分が口が利けない女"江藤葉子"であることにして筆談でコミュニケーションをとる。このまだるっこしさと寛末のスローペースさの相性が妙にいい。

やがて2人はメールアドレスを交換し、文字でのやりとりが始まる。



とはいえ松岡はこの関係のいびつさを理解しいている。まず、寛末が「江藤葉子」に向ける好意を松岡はちゃんと自覚している。そして自分は男で、寛末も女が恋愛対象だ。だからこの関係は続けない方がいい。でも続いてしまうのだ。

ふたつの「純粋」

松岡は寛末の丁寧なメールや会社での優しい姿を見るにつけ「ちゃんと本来の姿で寛末と仲良くなりたい」と思うようになる。女というフィルターを通さずに、人間として寛末と関わりたい。このあたりから読んでるこちらは苦しくてしょうがない。

なぜなら松岡は「本当の自分」を寛末に気づいてもらえないからだ。



そりゃそうだろう、まさか自分の恋する女が男だなんて想像するわけがない。そして男の姿ではまったく距離が縮まらない。

それに反比例するように女装した松岡と寛末の関係は恋愛に突き進んでいく。



ああどうすればいいのだろう。

寛末が江藤葉子を「ハンデがあっても明るい」「自己が確立した強い女性」と熱っぽく褒めれば褒めるほど私は切なくなる。なぜならそれは松岡ではないどころか、実在していない女だからだ。寛末は、松岡のパーソナリティ以上のものを江藤葉子から読み取っている。それは松岡が表現する「女」に寛末が心を許した結果だ。

松岡が女であると疑いもしない寛末は、一貫して嘘をついていない。江藤葉子に恋をし、江藤葉子を大切に扱う。対する松岡は寛末の前に現れた時は嘘の存在だったわけだが、次第に双方の「嘘」と「本当」の境界が曖昧になる。



松岡は寛末のこんな言葉にすがろうとする。松岡も寛末もゲイではない。でも、2人は肉体ではなく心を通じ合わせた。だから2人の関係には、なにか未来があるのでは。そう願うのだ。寛末が繰り返し「彼女」と言っているのに。

そして、読んでいるこちらも松岡と同じことを願ってしまう。なぜなら松岡がただただ寛末のことを思い、寛末のために着飾り、メールの言葉を選び、「本当の自分」から遠く離れた外見で黙って微笑む姿に、男の姿で髪をかきむしる姿に、なんの嘘も見つけられないからだ。

本作は上下巻で構成されている。ふたつの純粋がどうなってしまうのか、下巻を恐る恐る待っている。

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。

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