俺の左手にいる“あの子”
手は不思議なパーツだ。鏡に頼らずとも視界に入ってくるし(今もキーボードを叩いているのが見える)、思いのままに動かせているようで、たまに隠したい本音なんかを漏らしてしまう。まるで私から切り離された自治区のようだ。だから「クッ、静まれ……!」と自分の手を押さえつける中学生男子の気持ちはわかる。私だってやりたかったもん。
「私の手に“誰か”が宿っていたら」という想像は、すごく楽しいのだ。そんな願望を心のどこかで思い出しつつ『左手のための二重奏』を読んだ。あーワクワクする!
主人公の“的場周介(まとばしゅうすけ)”の左手に宿っているのは「天使の左手」と呼ばれた天才ピアニストの“弓月灯(ゆづきあかり)”。父親は一流ピアニストで、自身も大きなピアノコンペで優勝するような少女だ。
この朗らかな表情そのままの優しく楽しい演奏ができる子だけど、とある不幸な事故により突然亡くなってしまう。周介の目の前で、周介が一生苦しむような形で。でも生前の彼女は周介の広くて大きな左手に触れてこう言うのだ。
「私がつかめない音もシュウくんなら……」と。ピアノを貪欲に追い求める女の子の本音。そして彼女は周介の左手に宿る。そう、このマンガでの彼女の「死」は悲しいのに、かわいそうではなくて、ほの明るくて優しい気持ちにさせる。
日々グーで殴り合うような不良だった周介の左手を使って、灯は元気よくピアノを弾く。
ピアノも手と同じくらい不思議な楽器だ。鍵盤を押せば誰だって音を出すことができるのに、演奏する人によって同じ曲でも質がまるで違う。つまり、周介の左手の演奏を聴けばそれが灯であることがわかるのだ。天使が宿った不良の左手。
そんな左手を周介はどうする? ピアノなんて未経験だし、もう中学生だし、そもそもそんなキャラじゃないし。でも、周介はどうしたい?
……それがこのマンガの熱い部分だ。
きっかけは「灯の夢を手伝う」だった
周介は灯の死に責任を感じて自分を責めて責めて、いっそ死にたいくらい辛い。だから灯が自分にだけは見えて、さらに左手に宿っていると気づいたあと、灯が生前に望んでいたことを叶えたいと奔走する。
娘の死後「音楽をやめる」と決めた灯の父親に会いに行き……、
今も灯が「いる」ことを伝える。ここから始まる連弾のシーンがすごく好きだ。切ないのに鮮やかで強い。
そして周介は灯の「ピアノが好き。ピアノを弾いて世界中を笑顔にしたい」という願いを手伝うと決める。
冒頭でも紹介したが周介はピアノ未経験なので、まずは灯の父親に師事することに。ピアノで大きな舞台へ羽ばたくためには、コンクールに出て勝つことがメインのルートだ。彼らもコンクールを目指す。
で、ここまでだけでもアツいのだけど、周介の「左手以外の人生」はどうなるんだ? という点も紹介したい。ここに触れないと題名の「二重奏」の意味がわからないからだ。
まず周介がピアノ奏者としてどういう状態かというと、大きな手を持ち、体力と根性もハンパない。そして、左手が「天才」で、右手は「初心者」。楽曲にもよるがピアノの左手はバンドでいうとベースの役割に近い気がする。リズムを刻み、ハーモニーの根幹を支える。
だからベースが良いと音楽はグッとしまる。そして、右手はヴォーカルのような存在だと思う。メロディを歌う。つまり、初心者である以前の課題として、ただ単に「左手みたいに弾きます!」じゃダメで、ピアノ演奏として成立しない。
周介と灯は練習も休憩も一緒。演奏が上手くいかない理由を話し合ったり、お互いがどういう人生だったか、何が悩みだったかも伝えあう。最後のコマで灯がいう「左手は私の音を弾くから」がヒントだ。右手は? そう、周介の音だ。
体は1つだけど、大切な左手のために音は2つ必要で、周介にはそれができる。1巻を読んで「あ、できるなこれは」と思った。ピアノは灯の夢だったけれど、やがて周介の夢にもなるのだ。
ピアノはメロディとハーモニーを1人で演奏できる不思議な楽器だ。ピアノ1台だけで楽団がいるように音が無限に広がる。だからピアノは周介と灯にとって最適な楽器だし、2人じゃなきゃ演奏できない音楽が聴けるはずだ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。