「まわりと違う」というのは、大人になると個性と呼ばれたりしますが、閉鎖的な子供の世界では大問題です。
ましてや、猫ばかりの猫社会に人間の姿をした子供が1人というのは、「みにくいアヒルの子」のような違和感があるはずです。
秋津ましろは、両親が猫型なのに数百……数万人?に1人の割合で生まれる人間の姿をした女の子。
小学校の同級生たちからは、好奇の目で見られています。
――私はなんで みんなと違うんだろう――
モヤモヤを抱えていたましろは、直接、お母さんに疑問を投げかけます。
あなたには、ほかの人にはない良いところがあるのよと言ってくれる味方が、たった1人でもいたら人は救われるのではないでしょうか。
少なくとも私はそうなのですが、それは私が色々な経験をした大人だからなのかもしれません。
子供って思ったことをすぐに口にするので、残酷ですよね。
1人だけ目立つましろには、意地悪をする子も現れます。
でも、そんなましろを助けてくれたのが、猫型の男の子ももた君。実は彼も、ほかとはちょっとだけ違っていました。女の子が好むかわいい物や綺麗な物が好きという男の子だったのです。
仲良くなった2人が力を合わせ、意地悪をした子たちとどう立ち向かっていくのかと期待をしたら、急に主人公も話も変わり驚きました。
次の主人公は、小学1年の猫型の男の子、弓削(ゆげ)たすく。彼はましろと真逆で、母親が人間であるため「猫にんげん」と呼ばれ、いじめられています。
貧乏な母子家庭の長男であるたすくは、頑張って働くお母さんに心配をかけまいと、いじめられていることを内緒にしています。お父さんに聞かれても口を割りません。
このお父さん、実は別れて暮らしていて、たまに食事をする仲なのですが、人間界顔負けの今風な設定で笑ってしまいました。
リアルなのは、それだけではありません。『ほぼねこ』には、小学1年生の入学式、とび箱、ドッヂボール、棒のぼり、可愛いペンケース、下駄箱のいたずら、学校帰りに遊んだ神社、しょうぶ湯と、誰もが子供のころに経験したことが描かれていて、なんとも言えない懐かしい気持ちにさせられます。
特に、ましろのお母さんが作る白玉入りフルーツポンチ。
私の家でもフルーツポンチにはサイダーが入っていたし、母と一緒に白玉を作ったことを思い出しました。
今の時代、お金さえ出せば何でも手に入りますが、こうした思い出があることを幸せだと感じたし、母親の愛情ってさりげないのだなと猫型母さんに教えられた気がします。
『ほぼねこ』は、こうした心の琴線に触れる何気ないシーンが、ほんわかとした可愛い絵とともに描かれています。
だけどそこには「まわりと違う子ども」を描く上での、決して押し付けではない作者のメッセージが溢れているのです。
ましろやたすくほどではありませんが、実は私も中学、高校時代は、違う子扱いをされていました。本人はいたって普通にしているのに、なぜか目立ってしまい標的にされることもしばしばで。
誰にでも、大人になってからだって、大なり小なりそういうことはあるのではないでしょうか。
「私のお母さんには肉球がある」「僕のお母さんには肉球がない」と2つの話が織り成す『ほぼねこ』には、とても素敵な結末が待っています。
カバーを外した表紙にも。
きっと大丈夫だよ。そんな言葉が聞こえてきそうな『ほぼねこ』。そっと寄り添ってくれる、心がじんわりと温かくなる作品でした。
レビュアー
「関口宏の東京フレンドパーク2」「王様のブランチ」など、バラエティ、ドキュメンタリー、情報番組など多数の番組に放送作家として携わり、ライターとしても雑誌等に執筆。今までにインタビューした有名人は1500人以上。また、京都造形芸術大学非常勤講師として「脚本制作」「ストーリー制作」を担当。東京都千代田区、豊島区、埼玉県志木市主催「小説講座」「コラム講座」講師。雑誌『公募ガイド』「超初心者向け小説講座」(通信教育)講師。現在も、九段生涯学習館で小説サークルを主宰。
公式HPはこちら⇒www.jplanet.jp