「よその世界」への小旅行
子供のころ遊びに行った友達の家。玄関のタコみたいなタイル模様、愛想のない猫、台所から聞こえる冷蔵庫のサーモスタットの音、庭にドンと置かれた謎の壺……ヤバい、疎遠どころか顔もアヤフヤなのに「家」のことはめちゃめちゃ覚えている。ままごとじゃ太刀打ちできない極太のリアリティを持つ「よそのお家」に、単純に興奮していたのかもしれない。
『ストロベリー』は、とある「家」と「家族」の物語です。舞台はおそらく東京の表参道あたり。“湯本”という苗字をもつ4人と2匹の猫の世界。なんかかんかでよく行く表参道なのに『ストロベリー』は私にとって身近じゃなかった。でも、かつて遊びに行った友達の家を思い出した。そして遠い外国の空港で帰国便を待つような気持ちで本を閉じた。心もとないような、でも楽しいような。そうか、これは「よその世界」のお話なんだ。
“湯本家”という名のワンダーワールド
湯本家の構成メンバーを紹介します。まず、父・“高丸(たかまる)”。10年前に妻を亡くし、今は娘2人と息子1人との4人暮らしです。
子供たちは上から長女・“ダリア”"、次女・“アナスタシア”。
そして長男・“勇利(ゆうり)”。
長女と次女は風変わりな刺繍が得意で、網を見たら糸を通さずにはいられません。
ディズニープリンセスのような名前と顔立ち。そして網戸に施される謎の刺繍……なんかあるだろ、絶対。と、まずは彼女らに視線がロックされる。そしてここからいい意味で肩透かしを食います。本作の「不思議」の在り処はそこじゃないんです。
まず、名前は本名です。そして東京生まれ。お母さんは白系ロシア人(ロシア革命後に亡命したロシア人)の末裔で、2人は高丸の奥さんの連れ子。だから高丸と顔立ちが全然違います。
刺繍については「やりたいからやってる」らしい。
仕事になることもあるみたいですね。はい。以上!
……ん? や、もしも湯本家にお邪魔して、お茶をフーフーしながら高丸からサラッとこの話を聞いたら、どういう反応になるだろうか。たぶん「そうなんですかー」だ。あとは「刺繍いいですねえ」とか。少なくとも「変ですね」とは絶対に言わないし思わない。だってそういうお家なんだもの。本作を読むと自然と「そうですかー」という反応になる。この相槌プレイが楽しい。読者も丸ごと包み込んで本作の不思議の国が完成するんです。
あと、湯本家はお客さんが多くて楽しい。
しかも巨大猫がほぼ全ページにいます。猫好きにも効く。
こういう25のエピソードが途切れることなくゆっくりと続きます。猫たちだけを追っかけながら読む日があっても良さそう。
朝ドラ? ちょっと違います
描かれる対象が「家族」であることや1話の尺を考えるとNHKの朝の連続ドラマのような作品かしらと思うのですが、ちょっと違うんです。本作はもっとトロ火で世界を組み立ててゆきます。親に叱られたヒロインが波止場をダッシュしたりしないし、汽車から身を乗り出して手を振ったりもしない。あれは朝ドラというピントの合わせ方をした世界なんですよね。
じゃあ、『ストロベリー』が平坦なのかというと、そんなことは決してなくて。読む側の心に何度も手を伸ばします。
たとえば、亡くなった奥さんが高丸のために買ったシャツ。
高丸はそれを捨てることができなくてボロボロのまま着ています。それを見かねた娘たちは……?
あ、捨てちゃうのか。と思ったら、
刺繍をびっしり施していました。で、娘たちの目論見は見事はずれ、高丸はそのまんま着続け、刺繍は巷で好評……。
とりとめのない出来事と会話の連続のように思えるのだけど、ゆるやかに結びついています。それらを指でなぞると起伏や模様がよくわかって、ハッとなる。でもそれは、黙って感じ取るだけ。
「よそのお家」って、なんて遠くて、深くて、おもしろいんだろう。不確かだけど確実。「ほっこり」とも違った温度がある。『ストロベリー』の世界はそういう場所です。ちょっと遊びに行きたくなっちゃう。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。