真冬。締め切った会議室で長時間ともに過ごした誰かが、数日後に高熱を出す。「あいつインフルだって」の一言から始まるあのピリッとした空気を私はあと何度繰り返さなきゃいけないんだろう。たぶん毎年。だからボジョレーヌーボーよりも数倍「一番乗りだぜ!」の勢いでガッつくのは、インフルエンザの予防接種だ。9月末ごろからソワソワとスタンバイに入る。
……こんな感じなので、私にとって、多分あなたにとっても、『インハンド』が描くミステリーの世界はそんなに遠い話じゃなく「ありうる世界」だ。ぞわっとする。と同時に、なぜか無性にオラオラしてくる。謎を追う気持ちと並行して確実に戦意が湧いてくるのだ。見えない敵とバトルする気満々で読んでいる。でも、その敵は「ウイルス」だけじゃない。ここが本作の持ち味だ。4月からはテレビドラマも始まるそうで、確かにこれはドラマになっちゃうよなあと思う。
お医者さん……じゃない?
こちらが『インハンド』の主人公“紐倉哲”。ちょっと尋常じゃない規模の素晴らしい温室で優雅に仕事をする大富豪。
右手が最先端の筋電義手で白衣姿の彼(この時点でだいぶ属性が多いな)は、パッと見「マッドなお医者さんかな?」と思うのだが、違う。
寄生虫の学者。が、むちゃくちゃ優秀な天才なので、各機関からいろんな依頼がある。
ここに書かれている単語のうち「シカ」以外の全てが怖いよー。
「バイオセキュリティ」という言葉を初めて知った。こういうふうに毎ページ「へえ!」とふむふむ読んでしまう。そうこうしているうちに、内調(内閣情報調査室)から、ある伝染病について緊急の調査を依頼されることに。
根絶されたはずの病気がなぜか都内で発生する。よりによって都内。見るからに超絶辛そうだ。脳がカッと熱くなる。
アウトブレイク? バイオテロ?
天然痘はすでに地上から根絶されているはずの感染症。だからワクチン接種も今は実施されていない。
が、現実の世界でもその名前は時々聞く。
冷戦ツートップの国でウイルスが厳重に(?)保管されており、
こんなことも可能。つまり「やろうと思えばバイオテロができる」かもしれない。ちなみに後ろで「やだー」と言っているのは内調のバリキャリ“牧野さん”。「やだ」が口癖の女性で、一見ゆるいが手を抜かない働きっぷりがいい。
天才肌の紐倉をいい感じにサポートする助手の“高家”は医師免許持ち。……ということで、寄生虫学者、医師、役人というバランスよく仕事が進みそうな3人が、今はもう根絶したはずの伝染病がなぜ発生したのかを追う。この小気味良さと感染症の不気味さとのコントラストがめちゃ楽しい。
彼らは何と戦っているのか
『インハンド』が見せてくれるのは、シンプルな「バイオテロとの戦い」や「ウイルスとの攻防」だけではない。もう少し広くて薄暗い景色を楽しめる。
ウイルスだけじゃなくドーピングとそれにまつわる世間の事情が語られることも。
どのエピソードも「進歩した科学」と私たちの暮らす「社会」がぶつかる物語なのだ。だから、シンプルに「ウイルスをやっつけろ」なんかじゃ済まないし、紐倉の義手の理由ももちろん気になるし、混沌とした世界を楽しめる。3人のキャラクターといい、謎解きの骨太な面白さといい、ままならない後味といい、良いとこづくし。
そうそう、作者の他の作品とも世界が繋がっているようなので、『インハンド』おもろいやん! ……となった人は、ぜひ『リウーを待ちながら』も手に取ってみてほしい。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。