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2019.02.07

インタビュー

【矢口高雄インタビュー】釣りマンガの傑作『釣りキチ三平』、外伝『バーサス魚紳さん!』を語る

日本中に釣りブームを巻き起こした釣りマンガ『釣りキチ三平』の誕生から45年。マンガ家としては今年50周年を迎える矢口高雄さん。昨年は「イブニング」で釣りキチ三平外伝『バーサス魚紳さん!』の連載が始まり、1月にはこれまで描いてきた名作の一場面を集め、超細密スキャンによって複製した『矢口高雄大原画集 1973-2018』が刊行された。故郷の秋田県で名誉館長を務める横手市増田まんが美術館は、今年の5月1日にリニューアル・オープンする予定だ。話題が続く矢口さんに、担当編集の土屋俊広があらためて作品にかける思いを聞く。

『釣りキチ三平』の大人気キャラクター魚紳とは

土屋 矢口先生の代表作である『釣りキチ三平』が45周年を迎えたのを機に、昨年から「イブニング」で『バーサス魚紳さん!』の連載をお願いしました。三平が兄のように慕った鮎川魚紳が主人公。矢口先生原作、漫画は立沢克美さんというタッグです。

矢口 この魚紳、最初は僕もちょい役のつもりで『釣りキチ三平』に出したキャラクターなんですよね。

土屋 最初に登場したときは、その後と印象がだいぶ違いますよね。

矢口 最初は無精ひげを生やし、サントリーのダルマ(サントリーオールド)をラッパ飲みしながら、たばこをプカプカ吸っているような、やさぐれた旅の風来坊釣り師でした。しかし腕だけはあって、マナーはきっちりしているし、抜群に優しい。ストイックで寡黙、やることはかっこいいから、三平の連載中から女子中学生や女子高校生の間で大変な人気になってね。そうなると僕も「え、そうか」と思って、描き進むにつれて、だんだん顔は小さく、肩は広く、脚は長くなっていったんです(笑)。

土屋 ファンの声から変化したんですね(笑)。

矢口 バレンタインデーには三平くんに負けないぐらいチョコレートがたくさん届くものだから、連載のなかで「俺は、甘いものは苦手なんだよ」と言わせた(笑)。チョコレートがパタリとこなくなりましたよ。

土屋 リアルとごちゃまぜだったんですね(笑)。いい時代です。そんな魅力あふれる魚紳さんを主人公にして、外伝の連載となったわけですが。

矢口 まあ、今回は新しい人がやってくれるわけだから、作画の立沢君には「自分の作品だと思って描いて」とお話ししたんですよね。

土屋 そこまで言っていただけて、立沢さんがびっくりして感激していたのをよく覚えています。それまでずっと緊張していたのが、ふっと解けたような顔をしていました(笑)。もちろん、私もですが。

矢口 釣りマンガというのは、よっぽど大きな釣り大会などがない限り、あまりキャラクターが出てこないのですが、『バーサス魚紳さん!』はその究極で、タイトル通り一対一の対決になっていきます。一話目から、釣り雑誌の編集者やらカメラマンやら美人の秘書やら、たくさん出てきて、とり巻きにはあまり不自由しないだろうなと思いました。立沢君が、やっぱりとても絵の上手な人ですから。魅力的な人物を描くしね。彼は長いこと、すごい先生のもとで稽古してきて。

土屋 井上雄彦先生のところで、長年チーフアシスタントをされてきた方です。

矢口 僕も『バガボンド』は読んだほうですから。

土屋 先生も読まれていましたか。

矢口 はい。「ああ、ここの枝ぶりは俺のやつを参考にしているな」とか思いながら(笑)。

土屋 ははは(笑)。自然物描写で『釣りキチ三平』に敵うものは思いつきませんね。

超極細部まで再現! 1億画素データで原画を複製

土屋 昨年、『釣りキチ三平』の45周年にかけて、先生の原画の複製を45枚セットにした『矢口高雄大原画集 1973-2018』の受注も開始しました。大日本印刷でも最高のスペック、1億画素のデータで取り込んで、ネコヤナギの産毛の描き込みもわかるほど超極細部まで表現したものです。これだけの描写力、画力がある矢口先生だからこそというか、どれも、すさまじい。芸術の域です。

矢口 僕はマンガでも絵でも、アカデミックな教育というのはまったく受けたことがなくて、我流です。描いているときは、ただ無我夢中で。ある意味で、絵の面ではマンガの可能性を広げたというふうに思う。

土屋 そうですよね。先生の絵はその一枚の中でもう物語性があるんです。三平くんが砂防ダムに立っているだけで、彼がどういう気持ちでここへやってきて、佇んでいるのかというドラマが感じられます。

矢口 おそらくね、あの時代の手塚治虫先生だとか、トキワ荘のメンバーは、キャラクターをつくることがまず先決だったんです。鉄腕アトムから、リボンの騎士から、ジャングル大帝から、キャラクターをつくって、ドラマを後付けで考えていくような方法で。それを見習った人たちは、キャラクターを一生懸命につくった。

土屋 なるほど。

矢口 トキワ荘ではそうやって切磋琢磨していろいろなキャラクターが生まれたわけだけれども、僕はそういう道をまったく通らなかったのね。田舎で銀行員をしていて、月刊誌を見ているマンガ好きな青年だったわけで。「こういうテーマでこういうドラマが描きたい」となれば、ドラマを先行させて、それに必要な登場人物を考えるタイプだった。オバケのQ太郎やドラえもんから始まれば、こういう絵は描かないですよ。どちらがいいと言っているわけではなくてね。

土屋 自然の風景は、やっぱり先生の故郷、秋田県横手市の山野がベースになっていますか?

矢口 記憶の中のね。当時はまだ田んぼや畑がたくさんあって、その山道を村人たちがしょっちゅう肥料や鍬なんかをしょって上り下りしていたんだけれど、今はあまりの過疎化でね。僕の集落は村として84軒あったんだけど、今は40軒ほど。しかも世帯数が半分になっただけじゃなくて、10人くらいが一世帯だったのが、今はおばあちゃんが一人で暮らす時代になっているんです。限界集落もいいところだよ。

土屋 今は失われてしまった、貴重な景色が原画集には残っているんですね。

故郷の増田まんが美術館もリニューアル・オープン!

矢口 今年で平成は終わりますが、新しい元号の初日に当たる5月1日に、秋田県の「横手市増田まんが美術館」がリニューアル・オープンします。これまでは複合施設でしたが、今回のリニューアルでまんが美術館単体になります。開館当初と比べると約10倍の広さになるんですよ。

土屋 先生が名誉館長をされて、今回のリニューアルに際してもさまざまな意見を出されていたと伺いました。まんが美術館では矢口先生や他の有名な先生たちの原画を見ることができますよね。

矢口 5月1日は、日本ではさまざまな行事があるでしょうが、この日は純粋に一般のマンガファンだけのためにオープンするんです。

土屋 それはいいですね。しかも世の中は10 連休になるようですから、ぜひ先生の故郷まで足を運んでいただきたいですね。

マンガはもっと素晴らしいものだと証明したくて

矢口 僕の故郷・秋田県に「横手市増田まんが美術館」ができたのは、1995年でした。僕がマンガ家になったとき、「せっかく高校まで行って銀行員になったのを辞めて、東京にマンガ描きにいくなんて……。あいつはきっと、銀行で悪いことしたんだ」なんてウワサが耳に入るくらい、まだ世の中ではマンガの地位が低かったんです。でも、マンガっていうのは人に勇気を与えてくれて、情報を提供してくれる素晴らしいものだということを、少しでも理解してもらいたい、そのことを証明したいと、この美術館を建てました。地域活性化も狙ってね。当時の町長が僕の同級生で、町役場の収入役まで同級生だったこともあって、意気投合したんですよ。

土屋 そうだったんですか。それも、縁ですね。

矢口 最初は手塚治虫から白戸三平、石ノ森章太郎、藤子不二雄、ちばてつや、長谷川町子といった、日本全国の著名なマンガ家の原画をお借りするような形で始まりました。皆さん協力してくれて。このマンガの原画というのは、出版に供すための版下として描き込まれたものなんだけど、ここが大切なところでね。いつの間にか、マンガが途方もない力を発揮してきたものだから、手塚治虫の鉄腕アトムの原画が一枚見つかると、3000万円くらいで取り引きされるようなことになってきた。そうすると、マンガ家の原画は課税対象だ、なんて話になって。それはちょっと違うんじゃないかと。

土屋 そうですよね。原画を持っていたら大変なことになります。

矢口 せっかく日本の文化財として残っている原画なのに、そうなると手放す人が増え、誰も引き継ぐ人がいなくなってしまう。原画はあくまでも版下だし、このマンガ文化は原画で残さなければならないんです。そういうことで、私も自分の作品を全部、市に寄贈しました。これを美術館の目玉として、永久に管理して後世に残してほしいと。そうしたら、ほかにも僕と意見を同じくするマンガ家が出てきました。『子連れ狼』の小島剛夕、『海月姫』の東村アキコ、『月下の棋士』能條純一といった方々が、自分の原画を寄贈し始めています。日本はこういうマンガ家の原画を保存して、文化として継承していく必要があるんです。最近はパソコンで仕上げる人も出てきていて、それらについては紙の生原稿がないわけだけれど、少なくとも、今ある原稿は日本で保護しなければ。増田まんが美術館もそういう方向に転換しています。

土屋 今回のリニューアルは、そういうことも考えて、収蔵能力を40万枚まで上げると聞きました。現在は17万枚ですから大幅な能力アップとなります。このままでは、江戸時代の浮世絵が海外に散逸してしまったときのような、二の舞になるかもしれませんからね。

矢口 ボストンとか、ルーブルとかにね。国宝クラスの葛飾北斎もいってしまっているわけだから。そうならないように保護していかないと。手塚治虫や水木しげる、やなせたかしは、自分で美術館を持っていて、それを県で運営しています。増田まんが美術館のリニューアルも、国の文化庁の一つのモデルケースになればと考えています。

土屋 私がリニューアル中の増田まんが美術館に伺ったときにはちょうど紙の専門家が来ていて、当時使っていた原稿用紙の素材を調べていました。どういう保管方法が良いのか、湿度が何%とか光は何ルクスがいいとか、劣化しないための施策も練っていましたね。

矢口 まだまだ改良の余地もあると思うけれども、そのあたりもきっちりやっています。

矢口高雄氏

孤高の主人公が作者を超えていくとき

矢口 それにしても、私が毎話読むのを楽しみにしていた『バガボンド』のチーフアシスタントだった立沢君と、こうして『バーサス魚紳さん!』で一緒に仕事をすることになって。彼と会ったときには、結構、答えづらいことも立沢君に質問しました。宮本武蔵というのは、どんどん剣の道を進んでいくごとに孤高になっていくわけですよね。そうすると、作者を超える境地に入っていく。そこで、作者のほうが描けなくなる箇所が出てくるんです。かの井上氏も、何回か休んだりして、大変つらい時期があったと僕は見たので、そのことを聞いてみた。立沢くんも「それは大変そうでした」と言っていましたね。僕もマンガ家をやってきて、自分のつくったキャラクターで、たとえば『マタギ』に出てくる三四郎なんて、妙にこう、孤高を追い求めていくわけで。描いている人間より先をいくわけだから、「この続きどうしよう?」と苦しんだ時期もあったんです。

土屋 三四郎もそうでしたか。それで、どうされたんですか?

矢口 僕がそのとき編み出したのは、徹底的にゲスな人間を出すことでした。それで、孤高をいく人間をけちょんけちょんに罵倒してしまうというね。「てめえのやっていることは、なんのかんの理屈をつけても、要するに熊を撃って毛皮を売ることだろう!」とか、「熊の胃をとって、漢方薬屋に売ることだろう!」みたいなね。

土屋 なるほど。

矢口 本筋をグサリと言われるとね、「自分はこんなことをしていていいんだろうか」と主人公の心も揺らいでいくわけです。そうすると、主人公が作者を超えていってしまったときの突破口になる。『宮本武蔵』でも、武蔵と一緒に合戦に出てくだらない男になっていく又八の母親、おばばが出てきた。ズケズケと庶民感覚の話をして武蔵をとっちめていく場面になると、ドラマが生き生きとしてくるんだよね。きっと原作を書いた吉川英治も、その辺りは相当苦しんだと思うんだ。吉川英治だって聖人君子じゃないわけで。ましてや、人なんか殺したことのない人間が、人を殺す話を描いているわけだから。

土屋 今回の外伝の主人公となった魚紳さんも、孤高にいく可能性があったわけですか。

矢口 あるんですよね。しかし僕が描いたときは、そこに天真爛漫に解決する相棒がいた。「こんなことで悩む必要ないじゃないか」と思わせる三平くんがいましたからね。古今東西の名作なんか見ると、必ずそういうカップリングになっていますよ。鞍馬天狗には杉作がいたり、子連れ狼には大五郎がいたり。子どもから習うことって、いっぱいあるからね。

アユに始まりアユに終わる! 矢口高雄流の釣りマンガ

土屋 釣りは一般的に「フナに始まりフナに終わる」と言われますが、先生の場合は「アユに始まりアユに終わる」ですよね。『釣りキチ三平』の第一話も、鮎釣りの話から始まりました。

矢口 当時、「マガジン」で新連載が始まったのがちょうど7月のはじめで、鮎解禁のときだったんだよ。

土屋 それもあったんですね。

矢口 鮎は子どもたちが釣るには難しいんじゃないかと言われたけれど、釣りには大人もベテランも子どもも関係ない。釣れたということがすべて釣りの条件を満たしているんだから。そう主張して始めてみたら、あまりに面白いメカニズムを持った釣りだから、一気にファンの心を捉えました。やっぱりね、あれが最初から裏の小川でフナを釣るようなね、読者を小バカにしたような話だったら、人気も違ったでしょう。

土屋 確かにそうかもしれません(笑)。

矢口 鮎の縄張り習性を利用して釣る「友釣り」というのは、日本にしかない、世界でほかにないものだから。エサを使うのではなく、おとりの鮎を泳がせて釣る。ところが、この釣りがあまり面白いものだから、韓国の人もハマってね。日本の種鮎を韓国へ持っていって、今では韓国にも何本か鮎の川があるんだよ。

土屋 へえ、知らなかったです。最初にこの習性を知って釣った人はすごいですよね。

矢口 すごいよね。エサもつけないでね。恐らく江戸時代、紀州紀ノ川ではお殿様が一般の人が入らないようにご漁場みたいなものを決めて、そこに鮎師を置いて献上させていたんだよね。『釣りキチ三平』でも、「茜屋流小鷹網」というタイトルで紀州の鮎師の話を描いたけれど。

土屋 少年誌デビュー作の『鮎』は、どうだったんですか?

矢口 あれはね、私が当時銀行員で、鮎釣りにハマっていたのを、そのまんま書いたんです。それにも面白い話があってね。当時、上京してマンガ家になった私が住んでいたところの近くに『くたばれ涙くん』とか『750ライダー』で大変人気だったマンガ家の石井いさみさんが住んでいたんだけど、彼が急に胆石を病んで「少年サンデー」に穴をあけそうだったんです。まさか白い紙で出すわけにもいかないから、編集者がまだデビュー前だった僕のところへ来たんですね。「確か今、釣りのマンガを描いていると話していましたよね」と。「石井さんの代わりに大至急原稿が欲しいんだけど、いま何ページくらい描いてる?」と聞くので、「24ページまでできました」と言ったら、「3日くらいあげるから、大至急8ページ増やして32ページにしてくれ」って。その晩のうちに掲載の話がまとまったんだよ。

土屋 えええー(笑)。

矢口 扉ページには色が入っているんだけど、色を付けている暇がないから、ただマジックでズズズッと白黒で描いて、印刷所に色指定して。それが第一回。不思議なデビューでした。

土屋 往年の出版業界っぽいエピソードですね(笑)。すごい話だなぁ。

矢口 石井さんとはそういうことが縁で、今でもずっとおつき合いしていますよ。

土屋 今回の『バーサス魚紳さん!』も鮎釣りから始まりましたが、あの題材に決まったのも、矢口先生からの一言がきっかけでした。

矢口 企画を聞いたときに、三平クラブ(釣りキチ三平のファンクラブ)の幹事長が鮎小屋をやっているから、そこに一度行って鮎の一匹でも釣ってみたらと言ったんですよ。

土屋 そうでした、その場で連絡先も教えてくださって。『バーサス魚紳さん!』にも登場した江積さんですよね。下の名前を変えていますが、『釣りキチ三平』でも江積万作として描かれていました。そっくりですよね。

矢口 うん、そっくり (笑)。

土屋 それで、すぐに立沢さんと2人で行ったんです。『バーサス魚紳さん!』に出てくるキャラクター・川嶋じゃないですが、立沢さんも釣りはド素人中のド素人だったんですけど、江積さんに「こうやるんだよ」って友釣りを教わったら、1時間くらいで1匹かけた。しかも引き抜きまで決めるという。常連のおじさんたちも「どうせ無理だろう」なんて言っていたから、「おお釣れた!」と驚いていましたよ。立沢さん、天才かもしれない(笑)。

矢口 いや、腕がいいとか悪いとかじゃなくて、釣れるように釣ったから釣れたんだよ(笑)。釣りには大人も子どもも関係なく、そういう理屈のものだから。それにスパッと当たったわけだね。

土屋 そういうものですか。しかし先生のお話はいつも“おもしろくて、ためになります”。講談社の理念そのもの(笑)。今年はまたお忙しくなりそうですね。

矢口 そうですね。なにせ80歳だから、大丈夫かなと思うけどねぇ(笑)。

土屋 いえいえ、とてもお元気です。『バーサス魚紳さん!』もまもなく2巻が出ます。ストーリーもますます面白くなってきているし、立沢さんの絵も気合が入っているので、みなさんに応援していただきたいですね。

矢口 そうですね、私も気に入っていますよ!

矢口高雄(やぐち・たかお) イメージ
矢口高雄(やぐち・たかお)

1939年秋田県生まれ。1969年に「ガロ」でデビュー。翌1970年に『鮎』( 小学館)でメジャー誌デビューを果たす。1973年7月に「週刊少年マガジン」で『釣りキチ三平』の連載を開始、大ヒットとなる。ほかの作品に『マタギ』『おらが村』など。昨年より、「イブニング」で釣りキチ三平外伝『バーサス魚紳さん!』(原作・矢口高雄/漫画・立沢克美)の連載開始。超極細部まで再現された複製原画を45枚セットにした『矢口高雄大原画集 1973 - 2018』(完全受注生産)を刊行。

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