若者の恋愛離れが進む今、彼氏や彼女がほしいと思わない人が全体の約40%にのぼるとも言われている。「恋愛なんて面倒くさい」という風潮が確かにあり、もっと時代が進んだら「恋愛なんてバカのすること」と言われる日が来るかもしれない。
この物語は、そんな未来を予見するがごとく、「恋愛が無価値」とされている世界を描いている。
時は2034年。若者の中で「恋愛は非合理的なもの」とされ、恋愛の過程を“飛ばし”て結婚する者が多くを占めるようになっていた。
「合理的な結婚相手のマッチング」を目的としたシェアハウスも登場し、非・恋愛コミューンとして知られるようになったが、事件はそこで発生した。住民30人が犠牲となるテロが起きたのだ。
新聞社の社会部で記者として働く青枝聖は、この事件の犠牲者たちの人生を追う追悼記事──ルポルタージュを書いている。しかし、ある犠牲者の家族を訪ねた結果、兄から門前払いされてしまうのだ。
「弟には褒められるところなどない。記事にはならない」「『人間は恋愛すべきだ』という記事を書きたいだけだろう」と言い放つ彼は、恋愛そのものにも否定的だ。
この後、聖は犠牲者の妹が何かを話したがっていると感じ、直接話を聞きに行く。兄とは真逆で、恋愛に憧れを持っているという彼女は、「恋バナがタブーの今の時代を寂しく思っている」と話す。
さらに、彼女は「恋愛のプレッシャーを感じてきた兄にとっては生きやすい時代になった。恋愛を肯定するかのように書かれるこのルポルタージュを警戒しているのでは」と続けたのだ。
恋愛におけるマイノリティが逆転していった世界の中、それぞれの思いがあることを実感する描写だ。どちらが正しいわけでもなく、その時々の世の中の風潮に合致する者がマジョリティーとなる。そして、マイノリティとなった人々はそこに生きづらさを感じるもの。「恋愛」という1つのフィルターを通じて、現代社会の複雑な構造が透けて見える。
一方、聖自身にも、國村葉という恋人がいた。そう。「恋愛は馬鹿げていない」と考える彼女もまたマイノリティの1人だ。そして、聖たちは、街の中の恋人たちを冷笑する若者を見かけても、2人の関係を隠さないスタンスを取っている。
聖は、それぞれの価値観の違いを見つめながら、犠牲者の学生時代の友人や会社の同僚、シェアハウスを通じて知り合った人々にも取材を続ける。が、出てくる話は悪評ばかり。一緒に記事を担当する会社の後輩が「嫌われていた記事なんて書けるわけない」と呟(つぶや)くほどに……。
しかし、彼女は自分に都合のいい記事を書くことも、取材した内容をお蔵入りさせることも選ばない。実は、聖には自分の書いたインタビュー記事への激しいバッシングを受け、心を閉ざした過去があったのだ。
ここにまた、マジョリティーとマイノリティの複雑な構造が描かれている。ネットの発達によって、誰もが情報発信できる今の時代。そして、マジョリティーの旗を振りながら個人を簡単に殺すことができる時代でもある。ネットではマスコミを「世論(=大衆)を情報で操るマスゴミ」と非難する者も多く、この漫画にもそうした描写が登場するが、しかし彼らが一斉に攻撃したのは、そこで働く聖という個人なのだ。
聖は諦めることなく、足を使って犠牲者の取材を進め、自分なりに1つの記事を完成させる。
それが本当に遺族にとって、世間にとって、良きものであったかどうかはわからない。そう思いつつも、彼女は「どんな人生も美しく、生きるだけの意味がある。それを記事にしたい」と考えている。迷い悩み、苦しみながら、聖は犠牲者たちのルポルタージュを書き続けていく。
今の世の中には様々な価値観があるが、ネットによる集中砲火で、違う価値観を持つ者が叩かれやすくなっている時代でもある。マイノリティとなった人間は、「息苦しさ」や「生きづらさ」を感じている人も多いだろう。
しかし、すべての人間は違う考えを持つ生き物であり、一人ひとりに複雑な思いや背景がある。何が正しいのかは誰にも決められるものではない。
「正しさとは一体何なのか。互いを認め、共に生きる道はないのか」
この物語が描いているのは、現代社会が抱えている問題点であり、この作品そのものが時代を描くルポルタージュであると言えるのかもしれない。
レビュアー
貸本屋店主。都内某所で50年以上続く会員制貸本屋の3代目店主。毎月50~70冊の新刊漫画を読み続けている。趣味に偏りあり。
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