「泣く子はいねが?」
遠藤さんのこの台詞(せりふ)に、何人の人が優しい気持ちになってきたのだろう。疲れた日の、悲しかった日の、切なかった日の。どこかの誰かの日常に、そっと寄り添ってきた漫画がある。
深谷かほる先生の描く『夜廻り猫』は、夜な夜な街を徘徊しながら心の中で泣いている人を探す野良猫・遠藤平蔵の日々を描く漫画です。黄色い目がきらりと光り、グレーの毛並みに渋い抹茶色の半纏(はんてん)という出で立ち、頭の上に缶詰の帽子をかぶっています。小脇に片眼を失った仔猫・重郎を抱えています。
ちょっとがんばりすぎた人、少し疲れた人、嫌なことがあった人、現状がどうしようもなくなっている人。そんな世界の片隅で、号泣することなく静かに心の小さな傷を抱く人々のもとに、遠藤はふらっと会いにいきます。
ときに話を聞き、ときにご飯を共にし、ときに励まし、たまになにもしない。猫という擬態を使い、著者のあたたかい眼差しが、ちいさな8つのコマにぎっしりと詰まって1ページ1話の漫画。やわらかい線画がほっこりした温(ぬく)もりを読者に残します。くすっと笑える話、うるっとする話、優しい話、鋭い言葉の話。心にすっと入ってくるので、不思議と自分が遠藤たちの世界にいるような気がしてきます。
キャラクターたちは、遠藤の住む街に住む同じ野良猫や人、犬など。今回の4巻までにたくさん登場しています。どのキャラも愛嬌があり、どこかに自分に似たキャラやお気に入りのキャラが見つかるはず。
1話完結の1ページ漫画なので、私は寝室のベッドのサイドボードに全巻を積んでいて、寝る前にペラペラっとめくって、手の止まったページから読みたい数話をぼーっと読んでいます。日々の疲れや心の傷に絆創膏を貼ってもらうような、あたたかいほうじ茶を湯飲みで飲むような、心地よいほっこり感に癒(いや)されています。
■社会のあちこちに落ちている問題をそっとすくい上げる
この漫画は2015年10月からTwitter上で毎夜1話『夜廻り猫』として投稿されていました。日々の優しい言葉がSNSで話題となり書籍化されます。現在はモアイで連載中。今もネットで新作や一部の作品を自由に読むことができます。
今回の4巻もたくさんの素敵なお話が入っていますが、私が特に好きだったお話をご紹介します(※このレビューは8月に書いています)。
夏休みが終わり新学期が始まる日の9月1日、学校へ行きたくない・行きにくい子どもたちが実はたくさんいるというニュースを見ました。私も夏休み明けの学校に行くのが苦手だったので、このお話を読んで心がとても痛くなりました。痛いのですが、こうやって気にかけてくれる大人も世界にはいるんだと感じ、遠藤みたいな人を身近で見つけることは生きていくのにとても大切なことなのだと気づきました。
ちょうど「平成最後の夏」と話題の今。レビューを書きながら、もし、しんどい気持ちを持つ子どもたちがいたら、このお話をすっと届けたいと思いました。私も他人の涙の匂いがわかる大人にならなきゃなぁと感じます。みんなが涙の匂いを感じ合える世界になるといいなぁ。
『夜廻り猫』には社会の問題を優しく取り上げてくれる回があり、そういうお話はしばし自分の中で消化するまで、ページをめくる手が止まります。
■みんなで優しい世界を作るヒントがあふれている
話は変わって、『夜廻り猫』にはおなじみの「旨飯話」が多々あります。今回も夜中にお腹が鳴りそうな美味しそうなお話がありました。
ちょうど冷蔵庫に納豆があるので、白菜の漬け物を買ってきてやってみようと思っています。なんと美味しそうなんでしょう。匂いまで感じさせるコマです。まさに「飯テロ」ですね。素朴で美味しそうで、簡単レシピがよく出てくるのでたまにメモしています。
扉絵にも美味しそうな絵がいっぱいあります。このシリーズの絵が大好きです。どれもなんとなく見たことはあるけど、よく見るとふふふと笑顔になってしまう、見ているだけで口の中に妄想の味が広がります。
簡単だけど人が手で作ったご飯でお腹がいっぱいになった。あたたかい家でお風呂に入って眠れる。きっと明日も大変だ。でも、今夜は少し優しい気持ちになれた。日々を大きく変えることは難しく、自分ではどうすることもできない問題は、生きているとたくさんあります。そんなとき、遠藤のように余計なことは言わないけれど、ただそばにいてくれるような存在は、生きていくために必要なのかもしれないなと思いました。
生きているといろいろと大変なこともあります。それでも、遠藤の眼差しや行動を漫画を通して見ると、しんどい人には「遠藤みたいに見守ってくれている人が、あなたの近くにいるから大丈夫だよ。探してごらん」というメッセージを届け、そして少し元気な人には、「遠藤の生き方を学ぶことで、誰もがみんな誰かの遠藤になれるんだよ」と優しさを教えてくれているように感じます。
遠藤になれる人は遠藤に。遠藤が必要な人のところへ、遠藤になって会いに行く。その先に、みんなが少しずつ生きやすくなる優しい社会が待っているような気がします。
レビュアー
AYANO USAMURA Illustrator / Art Director 1980年東京生まれ、北海道育ち。高校在学中にプロのイラストレーターとして活動を開始、17歳でフリーランスになる。万年筆で絵を描くのが得意。本が好き。