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2018.08.11

レビュー

天才フィギュアスケーターが復活?『キスアンドクライ』記憶喪失の2周目

“リセット”された天才?

『キスアンドクライ』を読んで考えたのは、RPGの名作クロノ・トリガーの「つよくてニューゲーム」という仕組みのことだった。ラスボスを倒すと「つよくてニューゲーム」が選べるようになり、「レベルが高いままの自分」でゲームを最初から始められたのだ。ただの「二周目」とは違い、自分だけはめちゃ強いし、物語の展開も少し違う。とにかく、その余裕でブイブイ遊べる安心感が気持ち良くてしょうがなかった。

本作の主人公“橘龍希”はフィギュアスケートの頂点に君臨していた「天才」。


そして「事故」で昏睡状態になり、「天才」と「フィギュアスケート」の記憶だけを失って1年後に目をさます。


これは「よわくてニューゲーム」なのだろうか? それとも「リセットされた、ゼロからのスタート」なのか。

目を覚まして早々に龍希は全く身に覚えのない「天才の自分(しかも超絶かっこいい)」をテレビで見ることに。


その後の龍希の反応は……、



思っていたのと違う。いや、この龍希のイメージはわかる。男子フィギュアをテレビで見ていると全員「めっちゃジャンプする細い王子」に見えてしょうがない。とはいえこの感想……あまりに予想外というか不安になる。

デスパイネ(向かって右の眉毛の濃い格闘推しの男)とのやりとりは必見だ。誰なんだよデスパイネって。というか、龍希って誰なんだ。「悩める天才の物語」や「喪失感」をやや覚悟していたのだけど、龍希は当時の自分の映像を見ても何も思い出せないのだ。

いざスケート靴をはいても体は反応しないし、記憶も微塵も戻らず、なのでジャンプはできないし、むしろ一般人よりも派手に転ぶ。


これは大変だぞ、どうするんだ……。


天才がなくしたもの

記憶は戻らないし、スケートもできないけれど「天才と呼ばれた自分」の情報だけは嫌でも耳に入ってくる。そして龍希の「負けず嫌い」が覚醒します。


「待ってました!」というよりも「あー、言っちゃったー」というハラハラが強い。1年間寝たきりのブランク+記憶喪失のスケーターが1年後に世界選手権……そういう実現性の低さとは別種の得体のしれない不安がずっとつきまとう。この不安は何なのか。

読んでいる私たちは「天才」の美しい振る舞いや凄みは知っているけれど、彼らの内面はわからない。つまり「龍希が何を失ったのか」が、まだわからないから、私はとても不安なのかもしれない。龍希も自分がなくしたものを思い出せていないはずだ。でも強烈な「負けず嫌い」さは、ちゃんと生きている。

“今までの自分”を取り戻すのか?

龍希はフィギュアスケーターとしては未熟以前の無能な存在だ。無能なのに、龍希が時々見せる鋭い表情はかつての映像と同じくらい美しくてゾクッとする。

やっぱり「リセットした二周目」ではなく「特別な二周目」に思えてしょうがない。じゃあ、龍希は「天才だった自分」を取り戻そうとしているのだろうか?

たぶん龍希は「天才だった自分」をいつか追い越してゆくはずだ。事故がどんなものだったのかはまだわからない。でも「天才だった自分」をライバルに持ってしまった「世界一負けず嫌いの少年」の物語が始まったのは確かだ。そして、負けず嫌いな人は、ただライバルと並ぶだけじゃ絶対に満足しない。

フィギュスケートの濃さ

彼の周りにいる登場人物も皆それぞれ良い。実際にフィギュアスケートを見ていると選手はもちろんコーチや家族に至るまで「漫画みたいなキャラクターばかりだな」と思うのだが、あの「濃さ」が期待通り作品に落とし込まれている。


破天荒な龍希にふさわしいライバルたちだ。

孤高の天才と呼ばれた負けず嫌いのフィギュアスケーターが、傷つき、記憶が戻らないまま再び氷上に戻る。そしていつかキスアンドクライで自分のスコアを見上げるはずだ。そのとき私の不安はフィギュアスケートを応援するときのあの祈るようなドキドキに変わるんだろう。こういう「特別な二周目」は胸に刺さって仕方ない。

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。

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