いやあほんと……。性癖の扉ってのは開いてみないとわからないもんだな、っていうのがもう、率直な感想です。わたくし、新しい扉を開いてしまったかも。
手に取る者を新しい世界に誘ってくれる、そんな取り扱い注意の話題作が、『イジらないで、長瀞さん』です。
きっと、可もなく不可もない学生生活を送ってきた人でも、“苦手だな”、って感じた女子グループっていたと思うんです。ろくに話したこともないくせに、押しが強かったりちょっと話し言葉がうるさかったりしただけで勝手に近寄りがたい先入観を持ってしまっていたようなグループ。
じゃあ、想像してみてください。学生時代にそんな苦手意識を抱いてしまうグループの前で何か失敗でもしてしまったら? きっと散々からかわれてイジられて、馬鹿にされて……みたいな、「アア、オワッタ……!」と思ってしまうような想像するだけでもヒリヒリするような感覚、わかりますか?
もし、少しでもそんな感覚がわかるんだったらきっとものすごく刺さります。きっと開けちゃいます、新しい扉。
ある日、「センパイ」は宿題を済まそうと図書室へ向かう。いつもは空いているはずの図書室もその日はなぜか多くの人で賑(にぎ)わっており、そこで自分が書いたマンガをぶちまけてしまう──。
馬鹿にするような反応をする“苦手なタイプ”の女のグループの中に1人、さらにイジってくる子がいた。その日以降、その後輩の女の子「長瀞さん」は、なぜかセンパイを執拗(しつよう)にイジるようになっていく、一風変わったラブコメの本作。
まあこれが結構ヒドいイジりで、女の子に耐性のないセンパイは長瀞さんのイジりに耐えかねて泣いてしまいます。年下の女のコに泣かされる。
最初は、ああつらい、なんて屈辱的なんだと思うわけです。イジられているセンパイの感情も丁寧に描かれており、どうしたってセンパイの気持ちに感情移入してしまう。いくらなんでもそれは耐えられないなんて思って読み進めていると、急に長瀞さんはその手を緩(ゆる)めてくる。
もうここで揺さぶられるわけですよ。イジってくるときの邪悪!な顔つきから、やり過ぎを自覚して、しおらしい表情まで、コロコロ変化する長瀞さんを見ていると、自分の中に新たな感情が芽生えてくるのを感じるわけです。
そんなふうに読み進めて、繰り返し読んでいくと、長瀞さんの行動はセンパイが馬鹿にしやすいから、コケにしたいからつきまとってくるワケじゃないのかも?なんて気がしてくるんです。
意識の持ち方と視点の変化で見え方が変化する、これが本作の持つ魅力なのではないかと。そう思えるのです。
センパイがはじめて長瀞さんに遭遇した際に、自分がぶちまけたマンガを見られてしまった時の胸中は、「平常心で受け流す」ことで、目の前の課題に向き合わず、その場をやり過ごそうとすることでした。
面倒くさいから? 反論しても意味ないから? 少しの間やりすごせばこの場面は収まるから? 学生でも社会人でもそういう場面に置かれることは珍しいことではないでしょう。だから読者としては正直その気持ちはものすごく共感できるシチュエーションだと思います。
しかし、長瀞さんはそのスタンスを許してくれません。目を背けて逃げようとするセンパイを離さず、無理矢理にでも向き合わせようとします。「イジる」という手段を使って。
やり方としては手荒いと言えますが、長瀞さんが先輩にやっていることは、コーチングなんじゃないか、そんな風に思えちゃいます。
なぜなら、いままで問題に立ち向かわずに、避けてきたセンパイにとっては長瀞さんのイジりは困難な体験だったと思います。はじめは太刀打ちできずに泣かされてしまうセンパイも、イジりを受けて次第に自分の意思を表に出していけるようになっていきます。冴えない男の子の目の前に現れたのは未来の世界から来た動物型ロボットではなく、意地悪な後輩の女の子。これはまさに「ボーイミーツガール」な成長物語といったら言い過ぎでしょうか。
見え方が変化するという意味では、初見ではうわぁこの子ドS……って自分の古傷が疼(うず)いてしまう感じなんですけど、コミックスに収録されているおまけページや描き下ろしで長瀞さんサイドを掘り下げているので、そのエピソードの長瀞さんの心境と行動の意図が見えてきます。はじめは邪悪な顔つきに見えた長瀞さんのイジり顔が次第に愛(いと)おしく感じてくるはずです。きっと。
そして本作はまだコミックス2巻が出たばっかりなのですが、もうこれはせっかくなので1、2巻まとめて読んでもらいたい!
何でセンパイをこんなに執拗にイジってくるのか、長瀞さんの他の男に対しての態度はどうなのか。実際に長瀞さんはセンパイに対してどう思っているのか。少しずつ、2人の気持ちがあらわになって来ます。はじめて読んだときには覚える心がザワザワする感覚も、次第に違う感覚になっていること間違いなしです。そしてそのときにはきっと、新たな性癖の扉が開かれていることでしょう。
レビュアー
静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。