『いちえふ』は福島第一原発(通称1F)で働いていた廃炉作業員が、その経験をもとに構成したルポ・マンガである。
結論から言おう。これはすごい作品である。日本のマンガのレベルの高さを世界に知らしめる名作であり、マンガの歴史に残る作品である。もし未読なら、今すぐ読みなさい。
この作品の美点のひとつは作者の気取らないスタンスにある。だから、あんまり持ち上げるのはどうかとは思うんだが、指摘しないわけにはいかない。
もう一度言う。
『いちえふ』は、日本が世界に誇るべき作品である。
原発事故はもはや、めずらしいものではない。チェルノブイリにもあったし、スリーマイルにもあった。そのたびに数多くの書籍が出版されているし、なかには本作と同じ、現場作業員によるレポートもあっただろう。
しかし、それをマンガでやったなんて例はない。「作業員が見た事故後の原発と廃炉作業」というテーマをマンガという形で表現しえたのは、『いちえふ』と竜田一人のみなのである。そのことに、もっと意識的になるべきだ。
日本のマンガ文化を海外に自慢したいんだろ? だったらそのくだらねえマンガじゃなくて、『いちえふ』を見せてやれよ。みんなびっくりするぜ。
さらに、今、1Fで行われている作業は、過去類例のない、世界初のこころみである(なんでこれをもっとアピールしないのか、自分にはまったく理解できない)。むろん、この方針には賛否両論ある。しかし、竜田一人が描いているのが世界初の一部であることは事実なのだ。この点でも、『いちえふ』はもっと評価されていい。
原子力すなわち核融合とは現代物理学の粋である。人類が自然に頼らずみずから生み出す、唯一無二のエネルギーだ。簡単に理解できるものではない。2011年の大震災以降、そのしくみを解説する出版物はいくつも出たし、テレビの報道番組の特集もたくさんあった。平易な解説はいくつもあったし、自分もそうしたものによってかなりの知識を得た。
しかし、いかなる解説も、この作品で表現されたことは描くことができなかった。放射能の恐怖も、登場人物が語る
「放射能なめんな!」
の怒号以上に、説得力をもって主張されたことはなかった。
この作品は、古今東西、原子力発電所について作られた本の中で、もっとも平易でわかりやすいものである。原子力発電のしくみはここには説明されていないが(たぶん、作者にたずねても「わかんない」というだろう)、どんな表現より直感的に、原発という場所が理解できるようになっている。そんな作品は、本作をのぞいて他にはない。
本作は、2015年10月に刊行となった第3巻をもって完結となっている。終了の理由は、「伝えなければならないことは伝え尽くした」から。作中にはそう述べてある。
ウソつけと思った。おそらく、読者のほとんどがそう感じただろう。自分が知るかぎり、こんな理由で連載をやめることはあり得ない。
作者は同年2月の2巻発売の際、こう語っている。
「できればずっと(1Fに)関わり続けて、収束作業、廃炉作業が全部おわって、あの場所がきれいな公園とかになり、そこに私が立っているシーンを見開きで描いて終わりたいですね」
1Fの現状をかんがみれば、夢を語っていることはよくわかる。だが、作者に語りたいことがあるうちにこの作品が終わったのは事実なのだ。
終わった理由は、別のところにある。
トピックとしての1Fが、流行らなくなったからだ。もっとひらたくいえば、原発ネタが売り物にならなくなったから、売るのをやめたのである。
マンガとは基本的に営利目的で制作されるものだから、その判断は間違ってはいない。掲載誌や担当編集者に落ち度はない。
間違っているのは、この作品が求められない、ということの方だ。つまり、読者──求めないおれたちが馬鹿だってことだ。
原発事故は、まるで終わっちゃいない。
廃炉作業も、まったく過去になってはいない。
終わってないものを終わったことにしていいはずはないし、起こったことを忘れたふりもできない。あれはそれだけ重大なことなのだ。にもかかわらず、おれたちはあれをなかったことにしようとしている。記憶からなくそうとしている。どんなに忘れたいと思っても、世界は覚えているのに!
この作品は続編が描かれるべきだ。今のままじゃ、電気を作らなくなった発電所と同じだよ。
この作品は、たまに届く友達の手紙のように、竜田一人が1Fの現状を知らせてくれる、そんな作品であるべきだ。
終わるときは、作者の希望どおり、「公園にたたずむ見開き」でなくてはならない。それは、われわれの希望でもある。世界がもっとも望む終わり方でもある。
大前研一さんが「今後の日本は廃炉技術を売り物にすべきだ」と言っていた。『いちえふ』を読んで知識と技術をもった勇敢な作業員がたくさんいると知った自分は、この意見に両手をあげて同意する。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。