「何かを始めるよりも、やめることの方がはるかに困難だ」──そんな言葉があるように、周囲の視線や社会的なプレッシャー、そして自分自身への期待は、「やめる」という選択を重いものにしてしまう。
マンガ『ディグイット』の主人公・“獅子谷岳”もそんな現実に直面している。しかも彼の場合、そこに「血のつながり」まで絡んでくるのだから、事態はもっと深刻かもしれない。
挫折をテーマにしたマンガは数多くあり、なにかをやめることも挫折と思われがちだ。しかし『ディグイット』は一味違う。これは“やめる決断”から始まる「自由を求める物語」だ。
バレーボール元日本代表のエース“獅子谷慧”を父に持つ岳は、自分も父のようなアタッカーになるものと思って生きてきた。しかし中学のバレー部でもエースの座にはいるものの、なにかが足りない。毎日血のにじむような練習を重ねているのに、レシーブを上げ、トスをして、みんなでつないだ1本を自分がダメにしてしまう……。本当に自分はアタッカーに向いているのか、疑問を抱く毎日だ。
父・慧も岳を「将来攻撃の要になる男」と鼓舞し、「選手育成には興味がある」と言うものの、岳への指導にはあまり熱がはいらないようだ。そんなある日、練習を見に来た慧は、圧倒的な才能を持つ“ノボル”に出会ってしまう。
「ガクはほかのことで頑張ればいい」……。自分の子はそっちのけでノボルの才能を磨くことに夢中になる慧。あまりに鮮やかな手のひら返しだ。
しかし、これまでの血のにじむような練習は、岳が自分の才能に「答えを出す」ためのものでもあった。自分の可能性を自分で掘り出し、それを磨いて才能にすることを岳は誓うのだった。
「父の影響で目指していたアタッカーはもうやらない。自分の可能性を掘り出す」。それは岳がバレーボールから離れるという意味ではなかった。
「リベロ」とは、バレーボールの守備を専門とするポジションだ。攻撃には参加せず、後衛でレシーブやディグ(拾い上げ)を担当する。父が、また岳がこれまでついてきた「アタッカー」とは真逆のポジションになる。
それだけに周囲はぽかんとしているが、リベロへの転向は「アタッカーの才能がない」「父に見放された」からではない。岳は父と決別するため、勝負を挑む。アスリートとしての父は正しかった。でもそれを許せるかどうかはまた別の話だ。そして……。
ここまでを読み返すと、岳がはじめから「自分にできること」を模索していたこと、リベロに求められるスキルの片鱗を見せていることに気づく。
才能を「掘り起こす」、バレーボールの「ディグ(拾う)」、そして「やってみる」……読み進めるごとに本作のタイトル「ディグイット」にいくつもの意味が見えてくるように、物語序盤の岳の言動の本当の意味が見えてくるのが楽しい。
中学を卒業した岳は、母方の祖母のいる静岡で暮らすことに
どこに行ってもついてくる、父の名前。でも「二世」呼ばわりに何も言えなかったかつての岳はもういない。
リベロのディグを1点につなげる――岳の野心が覚醒する。
長年の父の呪縛から本当の意味で岳が自由になるには、まだもう少し時間がかかりそうだ。
「ディグイット」というタイトルにいくつもの意味があると書いたが、「リベロ」もまた、守備のポジションでありながら「自由」という意味を持つ。才能を、可能性を「掘り起こす(ディグ)」ことは「名アタッカーであれ」という束縛から岳を解放する道のりになるだろう。
相手エースがどんな強烈なスパイクを打っても、盾となるリベロがすべて拾う。やがて攻撃側は心を折られ、壁が崩れ去る……。そんな逆襲劇を待っている。
レビュアー
中野亜希
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
X(旧twitter):@752019