いろいろな欲望のなかで比較的かなえるのが難しいのは「あなたの気持ちを知りたい」だと思います。ダイレクトに尋ねてもだいたい教えてもらえません。仮に何か回答をもらっても、それが本当かどうかもわからない。
コミュ障の足をすくませるのも「あなたの気持ちを知りたい(でもわからない!)」だったりするはず。
それが90分1万5千円で買った相手の気持ちなら、なおさらわからない。
でも「あなたの気持ちを知りたい」は勇敢な感情で、「あなたと仲良くなりたい」や「あなたが好きだ」と近い場所から湧く欲望で、一緒に何かをしているうちにふいに実現したりします。あと「私の気持ち」もわかります。だから一緒に何かをするって意味があるんですよね。それが尊い感じの行為だったら最高。たとえばこういう感じの。
ファミレスで心ゆくまでオタク話。最初はデリヘル男とその客だったふたりは今や唯一無二のオタク仲間。
ところで、どうして彼女はデリヘルを呼んだのでしょうか。これもまた、非常にやっかい&繊細な欲望からの行為だったようです。
“桜子”はひきこもりオタクの20代女性。友達はひとりもおらず、恋人もいたことがありません。
そんな彼女に呼ばれたデリヘルの“藤くん”は、これまでいろんなお客様のお部屋やホテルに行ったことがあって「汚部屋でもなんでも平気」な人。プロです。
でも桜子の部屋を見た藤くんはちょっと絶句します。
立派でキレイなおうちだけど、何かがわかりそうで何もわからず、ただ「隠蔽」の2文字だけが浮かんできそうな部屋。いいかんじのゲーミングチェアとデュアルモニターも気になる。
でも藤くんはすぐにプロの顔を取り戻して「お仕事」を始めます。
まずは、桜子が1万5千円で買った90分がムダにならないように、そして良い「サービス」を届けるために、藤くんは丁寧にヒアリングを重ねます。これが面白いんですよ。ちょっとデリヘルっていいなって思っちゃうくらい。例えば「男の裸見れます?(ムリなら着衣のままもOK)」とか、とにかく手厚い。
でも、ひきこもりで男性経験なしの桜子はめちゃくちゃ緊張して、ぎこちなくて、やがて事故が起こります。
桜子のお部屋にはPCのモニターが2枚あるだけじゃなく巨大なテレビもあって、そのテレビのスイッチがオンになってしまい、桜子がプレイしていたエロゲの大変エロいシーンが大写しに。デリヘルのヒアリングで「エロゲ好きですか?」なんて聞かれないだろうし大丈夫だと思ったけど全然大丈夫じゃなかった。
この陽キャでキレイなデリヘル男にドン引きされてしまう、なんなら痴女や変態と思われてしまう、恥ずかしくて死にそう……と思ったら!
陽キャデリヘル男がまさかの食いつき。そう、藤くんは仲間(オタク)だったのです。ということで、桜子は白い布でガチガチに隠していたオタクグッズを披露し、見せれば見せるほど藤くんのテンションはうなぎ登り。盛り上がったふたりはそのまま夜を明かします。
国民的人気対戦ゲームでずっと遊んでいたんです。ふたりはゲームの腕前も同レベルでいい感じ。ところで藤くんは何しに来たんだっけ? そもそもどうして桜子はデリヘルを呼んだの?
桜子のお宝(オタクグッズ)とゲームで緊張がほぐれ、連帯感すら生まれたところで、桜子は本当の理由を語り始めます。
大好きなエロゲの推しの気持ちが知りたくて、推しの「行為」を見て、推しの気持ちをもっと知りたくなって、でも桜子には友達も恋人もいないから、90分1万5千円でデリヘルを注文したのだそう。そして藤くんと出会いました。それはすごく幸運なことだったと思います。
なぜなら、尊くて切ない桜子の気持ちを受け止められるのは、たぶん藤くんにしかできないことだからです。
これは同じエロゲを愛するオタク仲間であり、デリヘルで働く人でもあり、とても誠実な藤くんにしか言えない言葉。
外の世界が怖くてしょうがなかった桜子は、藤くんとの推し活で少しずつ変わっていきます。
桜子がどうしてひきこもってしまったのか、何が怖いのか、デリケートな核心には藤くんは触れないし、私たちもそっと見守るのみですが、推し活の喜びと同じ分量で彼女の痛みがじんわり伝わるマンガです(あと推し活とはなんぞやがよくわかる! “祭壇”とか!)。とてもいい。
そして藤くんにとっても桜子との出会いはすごく幸運で楽しいことで、いろんなところにふたりのドラマの種が埋まっていそう。2巻が楽しみです。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori