大人になってからの「ごはん」には「この人とごはんを共にして大丈夫か、おいしいか、幸せか」というチェックポイントが存在する。大丈夫じゃない相手とは疎遠になるべきで、おいしいなあと思える相手はそれなりに信頼できて、幸せだとまで思ってしまう相手は、プレシャスかつ危険な、かけがえのない人だ。
厄介なのは、ごはんチェックポイントをパスした相手とだけ人間関係を育めたらいいのに、実際にはいろんな要素が絡み合う点だ。おかげでときどき地獄が待っている。
『一緒にごはんをたべるだけ』の主人公“タキ”は誰とごはんをたべると幸せなのか。
家でソファにゆったり座ってたべるカップアイスは、そりゃおいしい。でもタキが食べたいのは“レイくんとたべるアイス”なのだ。どんなにおいしくても、レイがいないと、それは正確ではない。料理にふくまれる味、香り、それから食欲をそそる姿形がパーフェクトでも、相手がいなければ、タキの「おいしいごはん」は完成しない。タキは食に貪欲だからそのことをよく知っている。
タキの正確な食卓は、こうでなければいけない。
レイのためにごはんを作って、一緒にたべるのがタキの一番の幸せ。なんておいしそうなんだろう。
そう、何度も「なんておいしそうなんだろう」と喉がゴクリと鳴ってしまう。タキとレイが二人でたべるごはんは、まちがいなくおいしい。こんなに正しいことって他にある? とすら思う。そして、そのまちがいのなさに追い詰められていく。まちがっているのに、まちがっていない。
本作の連載が始まるやいなや、私の友人たちは大騒ぎした。とくに第1話を読んだ後のみんなの慌てっぷりといったらすさまじかった。彼らのうち1名は「オレは先を読むのが怖いよ(読むけど)」とまで言っている。怖いのに、あまりにおいしそうで、大まちがいかつ大正解で、読ませるマンガなのだ。豪腕といってもいい。
タキは料理教室の講師。レイとは料理教室で出会った。女性ばかりの料理教室に現れたレイを一目見てタキは「ヤリモクで料理教室に来る男は地獄に落ちるがいい」なんて思っていたけれど、実はレイは料理雑誌編集者で、ヤリモクではなく仕事目的だった。
二人は程なくして仕事を超えた関係になる。
一緒に餃子を包めるのは仲良しの証拠。レイの几帳面で慎重なところは、餃子の包み方だけじゃなく二人のこんな時間からもよくわかる。
餃子が焼き上がっていくさまを黙ってじーっと見つめるだけで、どうしてここまで淫靡(いんび)なのか。餃子のこととお互いのことで頭がいっぱい。
ああもう割れてしまいそう。
ごはんを作ることとたべることの両方からリビドーがにじみ出る作品だ。この料理の回もすごかった! 雑誌連載のための試作で、この日のテーマは「つくりおき系」。タキが考案したのがこちら。
このごはんは、タキが仕事のことを考えて作ったものだけど、同時にレイのことを深く考えながら、レイのために作られたごはんでもある。
うまそう。そして「欲望のままに全のせしちゃえばいいよ!」というタキの言葉が効いている。二人は別にベッドにいるわけでも裸になっているわけでもないのに、欲望に溺れそうな景色がちらつく。そういう罠を本作は巧みに忍ばせてくる(1巻を読み終わったら、ぜひカバーを外してみてほしい。ハッとなる)。
実は、レイが目の前にいないときにこそ、タキの欲望の輪郭がよくわかる。
レイの前でだけ、タキは心から「いただきます」と「ごちそうさま」を言える。ごはんのことばかり考える女が、愛する人との食卓を願いながらごはんを作る。本作はただそれだけの、誰でも想像がつく行為を描いているのに、ときどき絶句してしまう。
これ以上ないくらい理想の相手が目の前にいて、その人との時間がずっと続くようにお互いが細心の注意を払っていることがよくわかるからだ。慎み深いようでいて、じつに欲深い。
欲深くて慎重な二人が地獄をのぞきこみながら作るごはんなのだから、うまそうに決まっている。
ところで、本作のどこに地獄を感じるかは人によって大きく違うはずで、それも本作の強烈な魅力のひとつだ。そしてどこが地獄だったかを報告し合える相手とのごはんは、少なくとも絶対においしい。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori