目を閉じたり手を合わせたりしなくても「祈る」ことはできるのだろうなと『邪神の弁当屋さん』を読むとわかる。どんな存在にも祈る力があり、祈りに達成条件や失敗条件がないぶん、とても不確かな行為で、だから重ねるしかないことも、なんとなくわかる。
こんなことを「弁当がうまそうだ」と思わせながら想像させるマンガなのだから恐れ入る。SNSで大きな話題になったのも納得だ。読む人の心を静かに揺らすチャーミングな怪作だ。
一日一善をモットーとする弁当屋の“レイニー”は神だった。
ペディキュアを施した足から伸びる太くて毛深い体、背中には4枚の翼。ちょっと窮屈そうな上着。そして長い髪で表情は見えない。もし私がどこかでこの姿に出会っても神様か悪魔の一種かなと考える気がする。
この神は“ソランジュ”という名前をもち、“北の国”では実りと死を司る神として信仰の対象だったけれど、他の国では邪神として忌むべき存在だった。いわゆる「価値観の不一致」の最も深刻なタイプといえる。で、人間同士はソランジュをきっかけに戦争を起こし、ソランジュは創造主(ソランジュの上司的な神)から無期限の謹慎処分を受けることに。
神としての力と姿を失ったソランジュは、レイニーと名乗る人間となり、北の国で弁当屋をやっている。
レイニーが唱えるこの言葉のほとんどは弁当をきれいにつめるコツだが、まるで呪文のよう。竹を割ったお弁当箱に、長い菜箸。そして三角巾に割烹着姿で丁寧におかずをつめるレイニーの様子もふくめて、なんだか祈りのように私には見える。
「祈る」は「生きる」ことの一部だと思う。大勢の人間が死んだはずの戦争のあと、罪を背負ったレイニーが生きる理由は今のところ「明日の弁当のおかずを考える事」なのだという。
レイニーの弁当屋さんは、毎日お城のそばの中央広場で営業している。
弁当を積んだ台車を引いているのはレイニーの相棒ニワトリの“チュンちゃん”。このページの何もかもがカワイイ。
人間の姿で謹慎生活を送るレイニーは、神の力を取り戻すために「一日一善」を心がけている。
さすが、元・実りと死を司る神。でも彼女にしてみれば神の御業でもなくて「この程度」のこと。そして彼女はレイニーと名乗る人間の姿をもっているが、まなざしは人間のものではなく、めちゃくちゃ神の視点だ。「人間はとても単純」だし「愚かだが面白」く、そんな人間が食べる弁当をレイニーは作っている。
レイニーの周りにはいろんな人間が現れる。
城に勤めている“ライラック”はちょっと怖い感じだけど?
やがてレイニーの弁当屋さんの常連客になる。四角いタマゴ(玉子焼き)が気に入ったのだ。せせりの揚げ物、鮭の塩焼き、レイニーが毎日考える弁当のおかずはどれもとてもおいしい。
神もいるのだから“魔物”が暴れることも。とはいえ神にしてみれば魔物もカワイイ子豚のようなもの。
魔物が生まれる場所は人の心の「隙間」なのだという。毎朝レイニーが弁当をつめながら唱える「高さを出す事、隙間を埋める事。丸い形も歪な形も、型に入れば同じ事」を思い出す。
すっとぼけたような会話と、うまそうな弁当を積み上げるように、レイニーは粛々と生活を続ける。
それは丁寧な暮らしのように見えるけれど、どこか空白地帯や真っ暗闇があるようにみえて、彼女が繰り返し口にする「隙間」という言葉がリフレインする。
そしてレイニーはどきどき神の猛々しさを見せる(ここは実際に手に取ってご覧いただきたいので引用は控える)。それは別の国の人間が邪神と呼んだ事実を証明するような姿で、神のレイニーがポロッと口にする言葉はもろくて痛い。読むたびに見てはいけないものを覗いてしまったような気持ちになる。もしも神にも隙間があるのだとしたら、人間の私としては神に親しみを覚えるが、同じくらい絶望する。それでもレイニーは再び弁当を作り、生活が続いていく。
カワイイなーと油断していると、思いもしない角度から私たちの隙間に手を伸ばそうとする。本当に油断できない、腹の減る、そして腹が満ちる、魅惑的なマンガだ。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori