東京では紺色のスーツに黒いローヒールを履いた母親とスーツ姿の父親、そしてきれいな丸襟の白シャツに紺のスカートや半ズボンを合わせた子どもをよく見かける。小学校受験、いわゆる「お受験」だ。学校見学、幼児教室通い、それから11月の本番。ネイビーの親子は都心や郊外のあちこちを静かに歩いている。
幼稚園や小学校から受験があることに面食らう人もいるだろう。本作の主人公“小谷宏平”もお受験なんてとんでもないと思って生きてきた。
ところが、だ。
ビシッとスーツを着込んで幼児教室の保護者会に参加している。スチャッと取り出したメモとペンが妙にプロっぽいが、それもそのはず、彼は大手出版社・壇講社で週刊誌の編集者として働いている。
大手出版社といえば文系就職最難関、小谷もさぞやピカピカの高学歴なのでは……と思いきや、
高学歴な人たちのことが大っ嫌い! なぜなら小谷は無名大学出身で、出版社には新卒採用では入れず、アルバイトから契約社員にこぎつけたから。小谷には、学歴や学閥のコネクションに頼らず自分の実力だけでここまでやってきた自負がある。そしてその自負と同じくらい、コンプレックスを抱えている。一流大出身の人が何気なく放った言葉すら癇に障ってしょうがない!
ある日、仕事で「お受験」を取材することに。
そう、最初は興味もなかったし、むしろバカバカしいと思っていた(本作は小谷の心の声が赤裸々かつ、おっちょこちょいでとても面白い)。そんな小谷がなぜお受験の世界に突っ込むことになったのか。「ご縁があった」のだろうなあと思う。
雑誌のお受験特集の取材で幼児教室を訪れた小谷。未就学児に受験勉強をさせるだなんて、どんな鬼教師なんだ、この目で見てやるぜ……!とバイアスかかりまくりの状態で教室を見てみると予想外の世界が待っていた。
幼児教室の代表者である“ひでみ先生”こと“栗川英美”はEテレの幼児向け番組のお姉さんみたい。ところがいざ取材を始めると、ひでみ先生は別人のような顔を見せる。
あのはじけるような「元気にこんにちはー!」は、ビジネス元気&笑顔なのだそう。
小谷は週刊誌の記者らしくひでみ先生に切り込んでいく。いい学校に入って、可能性をひろげたって、その先に待つ高学歴が人生を本当に助けてくれる? 学歴があったって人生成功するわけじゃないですよね? 小谷自身の成功とその裏でくすぶる学歴コンプレックスの結晶のような問いに対するひでみ先生の切り返しは強烈だった。
ひでみ先生は小谷の痛いところを突くが、小谷の成功が彼の息子にも約束されたものではないというのはごもっともな指摘。不確実な時代にこそ、確実性のある学歴が保険となるというのだ。さらにひでみ先生は持論を意外な形で展開していく。
なぜ野球!? 本作はお受験の話だが、ちょいちょい野球に見立ててその世界が表現される。監督は親で、選手は子。目指す優勝は一流大学!
お受験には、いいこともあるけれど、お金もめちゃくちゃかかる。やっぱりお受験なんて自分には無縁……と思う小谷だが?
自分は、息子にこの先どう育ってほしい?
実は小谷は息子の“翔太”との関係に悩んでいた。
3歳で母親に先立たれた翔太は、5歳になった今も小谷にちっとも懐(なつ)いていない。どうしたら……と悩んでいたところで、小谷の人生にすさまじい激震が2度走る。その2つは小谷の残りの人生と、翔太の将来を真剣に考えるきっかけとなり、小谷の育児観をガラッと変えてしまう(あと、小谷の人柄がよくわかる面白エピソードだ)。
学歴なんて意味がないと念じて根性のみで生きてきた小谷だが、我が身にふりかかった大事件によってひでみ先生の「学歴は確実な保険」という言葉が頭から離れなくなり、翔太を幼児教室へ連れて行くことに。すると翔太はなんだかよくできるのだ。とっても賢い! 野球でいったら「5打数4安打」で「MVP間違いなし」! 思わずニマニマになる小谷監督の脳内は優勝(一流大学)! だが……?
まさかの完敗。なぜ? 先生は子どもだけじゃなく「全部」を見ているのだ。実は小学校受験は「親の受験」といわれている。つまり足を引っ張っているのは父親の小谷? どこがどうダメだったの? 逆転の余地はある? ひでみ先生の指摘事項は必読だ。小学校受験のツボと子育てで大切なことがクロスオーバーしていくさまは圧巻。さあ一流の監督に成長できるか小谷!?
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori