それでもやっぱり強くなりたい
な~んか微妙……。
道場主の神谷三郎から感想を求められ、やめときゃいいのに三矢男は素直に話してしまう。
そして三郎と戦う羽目になった三矢男は当然、瞬殺される。
「カッコよくない」を突き抜けた先の強さ
(死ぬほど練習をすれば)どんなヤツだって強くなれる! が正しい。足回し(寝転がって膝から先をクルクル回す)、足蹴り(寝転がって自転車を逆に漕ぐ動き)、肩ブリッジ、受け身からの柔術立ち、エビ、ワニ歩き、ゴリラ歩き、腰切りにしぼり。これら準備運動だけで初心者の心臓は、YOSHIKIのドラム並みに早打ちになること間違いなし。一度、冬の柔術道場を取材したことがあるけど、準備運動が始まると広い道場の気温と湿度が一気に上がるほどだ。
柔術においては、上になるポジションと下になるポジションがある。「そんなの上が有利に決まっている」と思うだろうが、熟練者が寝転がって足裏を相手に見せたガードポジションを取られると、初心者などあっという間に引き込まれて寝技をキメられる。三矢男も例に漏れず、小柄な神谷七子に瞬殺される。上になっても下になっても瞬殺、瞬殺、また瞬殺。ガードポジションを破るには「パスガード」という基本的な技術を習得しなくてはいけないのだが、三矢男にできない、ずっとできない、第1巻では1回も成功しない。でも七子は言う。
今のところ強くなりそうな要素がまったくないけれど、三矢男は多分ブラジリアン柔術をやめない。七子がいるからとか、自分より弱そうなやつに負けたくないとか、そういう理由じゃなく、のびしろしかないからだ。そして死ぬほどキツい練習でも、一生懸命に向かい合えば、めっちゃ楽しいからだ。ブラジリアン柔術の魔術は、“強さ”にあるのではなく、「どんなヤツだって強くなれる!」、そして「のびしろしかない」という言葉にこそあるのかもしれない。ホイス・グレイシーもエリオ・グレイシーも、実は自分の「のびしろ」を求め続けただけだったとしたら、三矢男だって(死ぬほど練習すれば)いつか強くなれる。そういう夢、いいよね! カッコいいよね!
特技や長所、それこそセンスがあって、メキメキ強くなっていく主人公の漫画もいいけど、三矢男は“なんにも持ってない”からこそいい。というか、シンパシーしかない。だって、あなたも私も大体の人間は“なんにも持ってない”から。世界の大舞台じゃなく、道場の片隅でパスガードをキメる三矢男、間接技をキメる三矢男に感動する準備はできている。2巻でキメてくれるかなぁ?