最終回にコラムページがついていて、いかに休載の多い作品だったかを示す表が掲載されていた。これだけ休みが多いマンガはそうそうないだろう。
表だけ見た人は、きっとこう言うにちがいない。
「さぼってんじゃねえよ!」
その指摘はおおいに正しい。週刊連載は毎週載るから週刊連載なのだ。これほど休みが多かったら週刊連載とは絶対に言えない。
しかし、同じ人にこう問いたいのである。
「キミは、この作品を通して読んだ後でも、同じことが言えるのかい?」
たとえば、野球をテーマにした作品ならば、甲子園決勝、もしくは甲子園出場(地区予選決勝)が大きなクライマックスになる。そこまでの展開は確約されていると言ってもいい。したがって、ストーリーの作り手の多くはそこまで考えて制作に望む。受け取る側も、物語がやがてそこに至ることを知っている。要するに描き手と読み手の間に約束が取り交わされた状態で物語がつむがれるのだ。
小林まことによれば、これは断じて批判すべきことではないという。「読みやすいってことだからね。いいことだよ」
柔道が作品のテーマとなることはすくないが、野球とまったく同じ考え方が適用できる。主人公はだんだん柔道家として頭角を現していって、ライバルが出現する。インターハイ決勝が大きなクライマックスになる。そんな予測は簡単に立てられるのだ。
ところが、この作品はそうしたセオリーを無視して展開されるのである。もちろん、主人公は強くなるしライバルは登場するしインターハイの出場権は獲得するし、そのあたりはセオリーどおりだ。しかし、毎回重点が置かれているのは、勝負ではない。ワザを出すとき顔がひょっとこになるとか、ストレスが頭にミステリーサークルを生み出すとか、サブキャラクターの変わった性癖とか、わりとどうでもいいエピソードのほうなのだ。そっちがメインになっているから、主人公はいったいどこまで進むのか、どれほど強いのか、先の展開がまるで読めないのである。
どうしてこんな作品が生まれたのか。作者はこう語っている。
「三十代はずっと、『描きながら考える』というスタイルで仕事をしていたんです。主人公をピンチに追い込んでおいて、どうやって切り抜けるかまるで考えてない、とかね(笑)。それはいい面もあるんです。どういう展開になるか、作者にさえ見えてないんだから、読者に見えるはずがない(笑)。まさに予想もつかないような作品ができるんです。ただ、そのやりかただとムチャクチャになって破綻しちゃうことも多い。とんでもなくパワーがいるし、相当しぶとくないとできない。いつも考えてなきゃいけないから、当然、逃げたくもなる(笑)」
当時、小林まことの逃走は伝説になっていて、トイレの窓から逃げたとか、編集者もアシスタントも部屋に待機させたままタバコ買ってくると言って地方の温泉行ってたとか、ムチャクチャなエピソードがいくつもある。
「今思い返すと笑い話なんだけどね。当時は真剣なんですよ。4階建てのマンションの4階に仕事場があったんだけど、外に出るには編集者がいる部屋を通らなければいけない。それでオレはどうしたかというと、ベランダから出て、まるでドロボウのように壁をつたって別の部屋に入り、そこから外に出たこともある(笑)。凄絶な風景だけど、当人はそれしか解決策はないと思っている。描けないなら編集者と話し合うとかさ、そういう発想がないんだよ」
逃げたくなる気持ちは、本作の読者なら了解するだろう。これ、「先がまったく読めない作品」なのだ。そんなの滅多にないよ。ほんと、よく終わったなあと思う。奇蹟みたいだ。
「今はこんなことできないよ。若いからできたんだろうね」
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。