一昨年、島耕作が会長に昇進した。
会長といえば横綱みたいなもの、トップではあるがその上はない場所……だと思っていた。
でも、そうじゃないんだよ、が『会長 島耕作』最初のテーマである。
会長に就任した島耕作は、当然のように経済団体に所属するのだが、そこには序列があり、出世競争があった。そう、ここは彼の新しい戦場なのだ!
敵は企業会長である。肩書きの強さも、組織のトップの強さも知り尽くしている。上司におもねる術も、部下の尊敬を集める術も会得している。成功も失敗も経験済みだ。さらに彼は、ここぞというとこで必ず勝利を収めきた。運も持っているのだ。
経済団体とはそういう連中の集まりであり、そこで戦うということはラスボスばかり相手にするということだ。まったく、会長職もラクじゃない。
ご存じのとおり、『島耕作シリーズ』は課長からはじまっている。
『課長』から『部長』『取締役』『常務』『専務』『社長』、そしてこのたびの『会長』。島耕作は出世をかさね、作品数を増やし続けた。その間、数十年。ひとりの男の半生を、これほどの長きにわたってドラマにし続けたシリーズがあっただろうか。さらに、新入社員から係長まで、課長以前の彼を描くシリーズも制作され、現在は彼の学生時代が描かれている(『学生 島耕作』)。
その長さ。
ただそれだけで尊敬の念を禁じ得ない。ひれ伏したくなる気持ちだ。
長く描き続けるためには、多くの人の支持がなくてはならない。数十年にわたり、彼はそれが可能なキャラクターとして存在し続けた。それはなんてすごいことなんだろう。しかも、彼は今年で68歳である。もうおじいちゃんなんだぜ。そういう人が人気を維持するのは、体型を維持する以上に難しいはずだ。
さらに、島耕作はもうひとつ、マンガの歴史に忘れてはならない金字塔を打ち立てている。
今でこそめずらしいものではなくなっているが、最初のシリーズ『課長 島耕作』が連載されていたころ(1980~90年代初頭)、サラリーマンが主人公のマンガ作品は決して多くはなかった。サラリーマンという最大多数・没個性の職業は、ドラマになりにくい、と考えられていたためだ。だが、『島耕作』はサラリーマン社会にも権謀術数の渦巻く出世競争や泥臭い人間模様があり、熱い生きざまがあることを、リアルに描いてみせたのである。
現在のようなシリーズ化は、もちろん当初から決まっていたわけではない。『課長』が終わった後(『部長』序盤)にブランクがあるのは、作者に「続きを描くつもりはなかったから」だ。
しかし、継続を求める声はやまなかった。誰もが、彼の「その後」を知りたがった。それゆえ、島耕作はシリーズ化することになったのである。
これを受け、作者はやがて、次のような宣言をするに至る。
「自分がが生きているかぎり、『島耕作』は続く」
要は「死ぬまで描く」ということである。すごい宣言だと思う。
作者はさらに、次のように語っている。
「『島耕作』は、「サラリーマンの成功物語」「おとぎ話」という側面を持っているんです。だとするならば、おとぎ話はおとぎ話らしく、登り詰めなければならないだろうな、というのは、主人公が取締役になったころから、ボンヤリと考えていました。主人公を退社させて、『ベンチャー島耕作』とか、『リタイヤ島耕作』という選択肢もあったんですけどね(笑)。エンターテインメントとしておもしろくしようとするなら、そっちのほうがよかったかもしれません。定年後のボランティアとか、老後とか、団塊の世代が第二の人生をどう生きるか、というのがテーマなら、マンガとしてじゅうぶん成立するし、おもしろいものが描けると思います。でも、成功物語を描いている以上、島耕作を企業のトップにしなければいけないだろう、と思ったんです」
(『島耕作クロニクル 40th』より)
ホンネを言えば、彼が役員になったぐらいから、「遠い存在になっちゃったなあ」と感じていた。大方の人もそうなんじゃないか。
だって、世界中に何万人も従業員がいる企業の会長って、どういう生活をしてるのか、まるで想像がつかない。何を食ってるのか。どこに住んでいるのか。どんなクルマに乗っているのか。どこで寝てるのか。見たことがないから、想像するしかない。もちろん、『島耕作』にはそれが活写されているし、そこにはたぶんほとんどウソがないこともわかる。でも、それで彼の生活が近くなるわけじゃない。会社役員なんて、ほとんど縁のない生活をしてるもの。正直、彼は雲の上に住んでいて霞を食ってます、と言われるのとあまり変わらないのだ。
偉くなるためには、聖人君子でなければならない。人並みの欲望がない(あるいは、それを表現する場所を心得ている)人だからこそ、世界中に何万人も従業員がいる企業のトップになれるのだろう。残念ながら俺たちは、そんな人間じゃない。
『課長』の最初、島耕作はスワッピングに誘われ、それを受ける。
「さすがにスワッピングする人は偉くなれないよね」と作者は笑ったけど、案外、「サラリーマンのおとぎ話」「夢物語」としてはこっちのほうがずっとリアルだと思うのだ。
俺たちは、偉くなりたかったんじゃない。スワッピングしたかったんだ。
そう思いはじめたのはいつからだろう。俺たちが憧れていた島耕作は、偉くなる島耕作ではなく、スワッピングに誘われる島耕作なんだ。
マンガ家として長い経験を持つ作者には、そのことがよくわかっている。そうでなければ、『社長』の最終回に、次のようなことを描いたりしないだろう。
「大所高所から日本経済を語るマンガなんて面白いか?」
面白くないのだ。スワッピングのほうが絶対に面白い。
だが、それは「最高の瞬間」ではあっても「人生」ではない。
「人生」って、面白いことの連続じゃない。むしろつまんないことの積み重ねだ。
「そんなマンガ面白いか?」
作者はそうみずからに問いかけつつ、「人生」を描き続ける。面白くない素材をなんとか面白く描こうとしている。偉くならないほうが面白いのに。リアルなのに。あえて茨の道を選んだのだ。
死ぬまで描く。
そんな覚悟があるからこそ、できるのだ。
作品を読むたび、ある種の凄絶さを感じるようになったのは、彼が専務になったころからだろうか。
現在でも島耕作を追いかけている人たちは、その凄絶さを追いかけているのだと思っている。それは、他の作品には絶対に描かれない凄絶さだ
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。IT専門誌への執筆やウェブページ制作にも関わる。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』を出版。いずれも続刊が決まりおおいに喜んでいるが、果たしていつ書けばいいんだろう? 「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。