「かんがえてみりゃあ俺も馬鹿よ……」
「自分ばかりが勝手次第にああかこうかと夢をかいて母を恋しがっても……」
「そっちとこっちは立つ瀬が別っこ……」
「幼い時に別れた生みの母は……」
「こう瞼の上下ぴったり合わせ」
「思い出しゃあ絵で描くように見えてたものを」
「わざわざ骨を折って消してしまった……」
忠太郎のこのシーン、舞台なら観客から声がかかる名シーンです。(もしくはすすり泣く声が聞こえてくるやもしれません)
1931年の舞台、そして映画化から登場して以来、70年もの時をこえて、日本人の人情の原型として幾たびも映画化、舞台化、テレビドラマ化され、また演歌の主題としても歌手を変えレコード化(!)されて語り継がれ、演じ継がれ、歌い継がれてきた名作です。
股旅物、新国劇といってもなかなか通じることのない昨今かもしれませんが、小林さんがこの名作を蘇らせました。この本は小林さんが描いてきた長谷川伸シリーズの掉尾を飾る傑作です。演者は小林まこと一座の名優たち(名物キャラクターたち)。
ためをきかせたコマ運びもこの一大人情物を綴るのに、これほどふさわしいものはあるとは思えないくらいです。
幼い頃に生き別れた母を訪ねて、心ならずも(?)遊侠の道へと進んだものの、忠太郎の心は、幼い頃に母を探して遊郭へとさまよったままの純情さが残っていた。けれど再会した時の母は苦労しながらも身を立て柳橋で料理屋を営んでいた。
そこへひょこり現れた忠太郎、母は今の身代に目を付けたならず者と疑ってかかったのでした。
非情な母の仕打ちに忠太郎がフトコロからとりだしたものは……。
もしや母が困っているのではと思い悩んだ忠太郎が必死で貯めた血のにじむような金だった。
なんの汚れもない百両の大金……。
けれどそんな思いも母には届かなかった……。
そして、冒頭の名セリフ、続きはこの本をお読みになってください。
この物語の時代背景は、風雲急を告げる幕末です! 清水の次郎長の登場や母との和解のきっかけが安政の大地震であったことからもわかります。
清水の次郎長といえば戊辰戦争の時、駿河湾に浮かんだ幕府軍の遺体を引き上げたことでも知られています。
忠太郎のフトコロの大金の奥には、そんな次郎長と同じ男の意地があったように思えるのです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。