生きる価値って何なのさ
『きみの絶滅する前に』は長い長い旅であり、やわらかいレッスンだ。絶滅前夜の動物たちと一緒に1ターン分の命では答えが出ないようなことを考える。ひょっとしたらその答えをすでに手に入れて生きている人も大勢いるかもしれないが、少なくとも私は、夕方だったり朝だったりに、口をへの字に曲げて考えてしまう。生活の手を止めることはしないが口元はしっかりゆがんでいるのだ。いやな形に。
たとえば「社会の役に立つ人になること」ってそんなに大事なんだろうか、とか(なってみたいなあと、ならなきゃは別物だ)。もう一段掘り下げると「生きるに値する」の“値”とは何なのか、だとか。大きけりゃ大きいほどいい値なのか?とか。丸腰で考え始めるとドツボにはまるタイプの危険な問いだ。
そういう危険な世界を、やわらかく、根気強く歩くマンガだ。たとえば「生産的な命」について。
石の卵を抱くペンギンの“マールさん”の言葉に思わず沈黙してしまう。「生産的」や「生産性」は人を冗舌にも寡黙にもさせるワードだ。そんなマールさんが作ってくれたイカのおにぎりを食べながら彼を見つめる“ペンくん”は、とんでもなくやっかいなペンギンなのだ。
罪のないペンギンたちを毎日のように虐殺している。しかも殺害後にご丁寧にも墓を作り、これまたご丁寧に長時間祈っている。ペンくんの言い分はこう。
「生きていることは本当に大変で、だったら生まれてこないほうがよかったのです」というのがペンくんの思想であり、よかれと思って殺している。その愛と殺意はぜひ幼稚な自分自身にだけ向けてくれよとウッカリ言っちゃいそうになるが、幼稚に幼稚をぶつけてどうする。それは「ある意味わかる」と軽率に言うのと同じくらい危険なことだ。だってもし第二のペンくんが現れたら、私はどうすればいいんだ。また何も考えずに排除するの? それは「生まれてこないほうがよかった」という思想へのカウンターとしては筋が悪く、むしろ燃料をくれてやるようなものじゃないか。
だからマールさんはペンくんを切り捨てない。手を変え品を変え語りかける。
ペンくんの胸にマールさんの言葉がきちんと届く日は来るのだろうか。
この悩ましきペンくんとマールさんの問答を皮切りにいろんな動物の物語が広がっていく。みな絶滅前夜の動物たちだ。
どうせいつかはいなくなっちゃうハワイガラスが弔(とむら)いをすることは、意味がないこと? 私の口元がイヤ~な形になるときに一生懸命忘れようとしているトピックにとても近い。
そして動物たちの寓話は、ひとつの流れに向かってゆっくり進んでいく。かつて「柔らかい金」なんて呼ばれて人間に乱獲されたラッコは、衣食住が保障された収容施設で芸を覚えてサーカスに売り飛ばされている。収容所で芸のトレーニングをしていれば、おなかいっぱいごはんが食べられるが……?
“フロウさん”は脱獄を企てている。ホタテやウニが大好きな“モギーくん”には彼の言い分がさっぱりわからない。
フロウさんは、安定した生活を捨ててでも絶対に取り戻したい“大切なもの”があった。
この丸っこい石、どこかで見たような……? そして各話は必ず対話であり、師弟愛とも友愛ともつかない根気強い愛が物語を動かしていく点も、なんだか懐かしい。
フロウさんとモギーくんは脱獄し、ついにフロウさんの大切な石を見つける。
モギーくんが「ばかばかしいことをしているんじゃないか」と冷や汗を流してしまう気持ち、私にもわかる気がする。でも絶滅する前に、ちょっとだけでいいから抱っこして温めてみてほしい。私も試してみようかなあと思ったよ。
本作は海外の出版社からも翻訳のオファーがたくさん来ているらしい。「生産的な命、非生産的な命」という思想は人類をめちゃくちゃ刺激し、見るに堪えない失敗を誘い、今さらフタをすることもできないが、抗議する値打ちと権利はみんなにある。とても挑戦的で温かく、そして生きていたくなるマンガだ。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori