31文字が変える世界
世界を変えるのに必要なものはなんだろう? 売れないお笑い芸人・トタの場合、それは「57577」の31文字だった。
『呪文よ世界を覆せ』は、相方「だけ」が売れた芸人が短歌と出会う物語。「呪文」と言っても魔法や異世界の話ではない。31文字で心を揺さぶる短歌の話だ。人を出会わせ、行動させ、心に刺さるそれはまさに「呪文」。その魔力の物語だ。
イマイチぱっとしないお笑いコンビ「虎蜂(とらんばち)」。舞台ではスベり、楽屋ではその責任をなすり合う。
この物語の主人公で、ネタ担当の虎屋戸太郎(トタ)に対し、ボケ担当の相方・ハチのあたりがこんなにも強いのには理由がある。
ハチはトタとコンビを組んでいながら、「P-1」(ピン芸人コンテスト)でグランプリを獲り、一夜にして売れっ子芸人になったのだ。
旬のオーラ全開で「何を言ってもウケる」と強気、トゲのある態度のハチと、ショートネタ配信がバズって人気の後輩たちに挟まれたトタの肩身はとても狭い。1話のタイトル
後輩の煙草を灯す手の内で鳴けない蝉がジジっと焦げた
そのままのくすぶり具合である。
相方にないがしろにされるだけでなく、彼女にも裏切られ、トタは一夜にして恋人と家を失う。
不義理なのは周囲の人たちの方なのに、彼らがトタに向ける言葉の切れ味がいちいち鋭く、「じゃあ仕方ないな」と思ってしまうのがまた切ない。
世界はまさにクソ。失意のトタの口から、オチの代わりにこぼれ出たのは……。
みんなに笑ってほしいだけなのに、自分の何が悪いのか。
その泣き言を、思わぬ形ですくい上げてくれた人がいた。
初対面のトタに、とても親しげに話しかけてくる女性は「多悠多」。
トタのボヤキが「57577」のリズムで聞こえる彼女が愛してやまないもの……それは「短歌」だった。
心をブチ抜け
「世界が変わる」といっても、トタが歌人を志すわけではない。芸人のトタのまま、三十一文字(みそひともじ)に心を乗せる術を手にする過程が描かれる。
さて、多悠多が初対面のトタの前で大粒の涙をこぼして語るのはある短歌のこと。
自分の境遇にシンクロするその歌も涙もトタの心に刺さったけれど、多悠多がこのあと見せた笑顔のほうがずっとグッとくる。
多悠多に近づくきっかけがほしい。彼女の笑顔がもっと見たい……そんな気持ちで差し出すのが、自身のライブのチケットなのがすごくいい。連絡先を聞くほうが確実なのに、多悠多がライブに来ない可能性があってもこの方法をとる。売れないなりにお笑いに打ち込んできたトタの姿勢が見えるようなシーンだと思う。
多悠多の笑顔を思うと胸が高鳴るけど、自分には彼女の気を惹けそうなものはない。売れてないからお金もない。どうにかできそうなのは、やはり短歌! トタは、不純な動機ではあるものの、多悠多の愛する短歌を知ろうと決意する。
あれ、短歌って思ったよりもハードルが低い?
29歳のトタより若い歌人もいるし、くだけた言葉で詠まれた歌もたくさんある。堅い内容でなくてもいい。難しいものと思ってしまいがちな「短歌」への誤解がさりげなく解かれていく。
目次には各話タイトルとして短歌が並び、作中にはトタが作る歌に加え、実在の歌人の短歌がこれ以上ないタイミングで登場する。31文字が世界を自在に描き出すのを見るだけでも、短歌の面白さが伝わってくる。
普段の言葉でいい、身の回りの何を詠んでもいい。しかし今のトタがなにかを表現するには、31文字はあまりに短い。人の心を撃ち抜くのは、磨き抜かれ、研ぎ澄まされた言葉だ。
短歌とお笑いの思わぬ共通点がここにある。そしてそれは「短歌」が「呪文」である理由でもある。
「言葉を磨く」感覚を得たトタは、ステージでも輝き始めたように見えるが……。
短歌とお笑い、言葉を武器に戦う二つの世界で、トタが繰り出すのはどんな呪文になるだろう。2巻も楽しみだ。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
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