自分は人間なのか、それとも「感異者」なのか――
主人公はクラスであまり目立たず、孤立しがちな高校生・黒木ナギ。
彼はたびたび、白昼夢のような「脳内になだれ込む謎のビジョン」に悩まされていた。
その中で彼は、おそらく両親と思われる二人と車に乗っており、そこでなにがしかの事故に遭っていると思われる。またあるときは、人が姿を変えたような異形の化け物と闘っていたりもする。街中で出会った謎の少女も、その謎の記憶の中で一度出会っているようだ。これらはどうやら彼自身が失っている、不可思議な記憶の断片のようだが……。
彼らの住む世界には「感害」と呼ばれる災害が頻発している。
要撃退敵対生物「感情特異者」通称「感異者(クレイターズ)」。
また、それらに起因する災害を「感害」という。
どうやら「感異者(クレイターズ)」は「自らの感情を制御できずに理性を失い、同時に(筋肥大などを起こして)人としての形も失ってしまった生物」のようだ。
高校を早退し、自宅のアパートで休んでいたナギは「感異者」と化した大家さんに襲われるが、ともにいた級友のハクシンを守ろうとする中で、謎の力で「感異者」を撃退してしまう。
今の今まで人間だった「大家さん」が謎のトランスフォームを遂げる……。
その一部始終を観ていた、感異者を撃退する組織「SIDE」のシイラ分隊長は、黒木ナギ自身を「感異者」と特定。撃退しようと闘いを繰り広げ、見事にトドメを刺したかのように見えた。しかし、ナギは次の瞬間に謎の復活を遂げる。
級友のハクシンは、復活したナギを「明日の国」と呼ばれる場所へと導く。
そこは「感異者」たちが集まり共同生活する中で、この災害の元凶であり、彼らを「感異者」として目覚めさせるキーになっている「サイカ」と呼ばれる何者かを殺すべく、訓練を行っている施設だった。
「自分は人間なのか、それとも感異者なのか」。
苦悩するナギは、自らを苦しめる「記憶の断片」と向き合おうと決意するが――。
一読しての感想は「登場人物全員、いったい何者なのか」。
「自分は何者なのか」と苦悩しているナギには申し訳ないが、むしろ一読しての感想は、登場人物全員に「お前ら、いったい何者なんだ」と問いたくなる気分だ。
「感異者」として感情を武器に相手を攻撃する特殊能力を持ちながら、理性は失っていないナギ、および「明日の国」の面々。
初めからナギを特殊な「感異者」として見守っていたらしい、シイラ分隊長ほか「SIDE」の面々や、実は「明日の国」の統率者だった級友のハクシン。
そもそも、おそらくナギやその他の人々を「感異者」として目覚めさせた元凶であろう「サイカ」とは何者なのか。
「明日の国」で特殊なトレーニングを続ける「感異者」たち。
己のトラウマと向き合うなかで「サイカを殺さなきゃ」という強い執着に囚われるようになった「明日の国」の感異者たちはもちろん、「バケモノ(感異者)退治をする公的組織」のように見える「SIDE」も、決して清廉潔白な正義の存在ではない。むしろ「感害」と呼ばれるこの災厄の正体について、決して表沙汰にできない重大な秘密を握っているように見える。
現実世界においてもSNSの普及も相まって、モンスターカスタマーなどの「過度に感情的になる、度を越したクレイマー」が社会問題になって久しい。
本作のキャッチコピーに「“感情”が世界を揺るがす、新時代・サイキックバトルアクション」とあるが、人とはそもそも「感情の乗り物」なのか「理性の下に動く生きもの」なのか。
「お前ら、いったい何者なんだ」という問いは、ひいては「人間とは何者なのか」につながっていくようにも思う。
「激しい感情に取り込まれて、理性を失ってしまう人たち」
「理性を持ったまま感情を武器に、敵対する存在を倒そうとする人たち」
その対比が何かを物語っているようにも感じる。
ちなみに本作は、X(旧ツイッター)上で『はじめの一歩』の森川ジョージ先生、『ワンパンマン』の村田雄介先生など、錚々(そうそう)たる先生方から絶賛コメントが届いているらしい。
まだ物語は始まったばかり。この先の展開に期待したい。
レビュアー
編集者/ライター。1975年生まれ。一橋大学法学部卒。某損害保険会社勤務を経て、フリーランス・ライターとして独立。ビジネス書、実用書から野球関連の単行本、マンガ・映画の公式ガイドなどを中心に編集・執筆。著書に『中間管理録トネガワの悪魔的人生相談』、『マンガでわかるビジネス統計超入門』(講談社刊)。