地方行政とゾンビ
最近、区役所や官公庁の文書を読むのにハマっている。政策にまつわる議論や会議資料の記録は、執念深く検索すれば、意外とちゃんと見つかる。それを読んで何をするわけでもないのだけど、役所の誰かがせっせとまとめてくれたであろう無数のpdfの先に、自分の日常生活がうっすら見えてくるのがおもしろい。現代人の生活と行政は、切っても切れない関係だ(行政は、立法や司法よりも私のそばにいる印象だ)。
なので「現代にゾンビが現れたら」を考えると、最初はショッピングモールに立てこもってショットガン片手に「クソー!」なんて絶叫するかもだが、もしその後の世界に人間がいっぱいいたら、やがて行政とぶつかるハズなのだ。法律が作られ、その範囲内で行政がせっせと稼働し、人間とゾンビをどうにかする。
『役所の下にはゾンビが埋まっている』はそういうお仕事コメディだ。1ページ目からとてもいい。
最後のコマをよく見てほしい。負傷しているのはゾンビの方で、警察官の様子も「よくあること」という感じ。このマンガのゾンビたちは実に大人しい。
ただ、人間の姿形をしている時点で、たとえそれがいくら大人しくても問題は起こる。彼らを無視できるほど人間は鈍感ではないし、人間には社会があるからだ。こうして行政の出番となる。
本作の舞台は根黒区役所。そこの福祉保健部蘇生課(通称“ゾンビ課”)で働く人びとが、地域のみなさんとゾンビをどうにかする。
役所には仕事が山積み
ゾンビ課のお仕事はどんなものなのか。
死んだら全員ゾンビ! あなたも私もいつかはゾンビ……高齢化社会の次はゾンビ化社会なのか。そんなゾンビを社会で取り扱うための3原則はこちら。
現実的!
根黒区役所の新人である“東海林路美子(しょうじろみこ)”は、本人たっての希望で福祉保健部蘇生課に配属された。本作の主人公だ。
フルネームを10回くらい早口で言うとゾンビ映画の巨匠がぼんやり浮かんでくるような名前をもつ路美子は、やる気と希望に満ちあふれている。でも……?
3944名のゾンビが毎日新規投入される日本。ゾンビ課の先輩である“佐村一実(さむらかずみ)”は厳しい現実を突きつける(なんだか『死霊のはらわた』を観たくなるお名前だ)。
もしかしてパワハラ上司?
役所には、個人の視座だけでは絶対に想像がつかない仕事が待っている。
おつかれさまです。どうして役所の仕事が大変なのかというと、こうやって個人の事情が無数に降ってくるからだと思う。いくら法律や条令で運用ルールを定めても、その運用ルールに乗っかれない部分が、人間の感情には多かれ少なかれ出てくるのだ。
長い闘病生活の末、死んでしまった妻を、思い出の場所に連れて行ってあげたい。これのどこがダメなのか?
ゾンビは県を跨げない! なんで?と思うが、なんだか現実にありそうなルールだ。
つまり、本作はゾンビが問題を起こすというより、人間とゾンビが同じ社会にいると起こる問題が描かれるのだ。
たとえゾンビ3原則を知っていても、ゾンビが人間じゃないとわかっていても、納得できない人間だって出てくるだろう。路美子は役所で働く人間として、どう対応する?
「寄り添う」って、ものすごく難しいことだと思う。
社会で起こるありとあらゆる活動にゾンビの影がちらつくマンガだ。例えば、ゾンビは「申請」をして国から許可をもらったら、一定期間は働くことができる。それは誰が申請するの? どんな仕事なの? ぜんぶ描かれている。
このあと語られるゾンビが働くことへの「ハードル」も実にリアル。そして、なぜゾンビが働くのかを考えると、ハッと胸に手をあててしまう。いいマンガだ。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori