「おれのことネタにしたら?」
続きが待てない漫画に出合って、むさぼるように読んだあとは、最後のページの「予告」を見ようかどうしようか本当に迷う。見たらそりゃもちろん楽しみになるのだけど「あと半年かぁ。私元気にやってるかな」って遠い目をしてしまうからだ。
『裏社会科けんがく』の2巻は2024年夏頃発売予定だそうです。さんざん迷った揚げ句、予告を見てしまった。もう心配でたまらない。でも楽しみ。
実は、同じような気持ちの人間が本作には大勢いる。
本屋の開店と同時に「コミックシフォン」を買う男。カワイイ絵柄の漫画とはおよそ不釣り合いな厳つい腕時計と荒っぽい仕草だが、無理もない。“彼”は、そういう人間だから最新号を読まずにはいられないのだ。
売れない漫画家が「描いたことないもん描きたいんだろ?」というささやきに乗ってしまい、ヤクザの実体験を丸ごと実名バリバリで漫画にしてしまったら、何が起こるか。なお、本作によると「おれのことネタにしたら?」というのは、漫画を描いてることがバレると相手からよく言われるセリフ第2位なのだという(1位は読んでたしかめて!)。
ネームが通らない
主人公の“鳴沢”は、漫画の新人賞をとったものの、それ以降は掲載に至っていない。ネームがなかなか通らないのだ。
いくら描き直しても同じ話になってしまう。アタマの引き出しをむりやり開けても全部からっぽ。そういう状況なので、漫画家だけで生活などできるわけもなく、コンビニでアルバイトをして生計を立てている。
ある日、コンビニの裏で、廃棄弁当をほしがるホームレスの“河口”と出会う。
没になったネームを一人しょんぼり読み返しているところまでしっかり見られてしまう。
河口は鳴沢に対して妙に人なつこい。
「出会いは行動範囲を広げる」という河口の言葉は正しかった。それは、鳴沢が思いもしない範囲ではあったのだが。
ネームに行き詰まった鳴沢は、ふと河口の暮らす河川敷に足をはこぶ。「今度うち来いよ」と河口から誘われたのだ。鳴沢が自身のスランプを打ち明けると、河口は「おれのことネタにしたら?」と持ちかけ、自分は逃亡中のヤクザであると言い始める。
組長の秘密が入った「データ」を持って、ホームレスに身をやつして逃げているのだという。嘘くさすぎるが試しに河口の話を基にネームを描いてみると、なんとアッサリ掲載が通ってしまう。漫画のタイトルは「裏社会科けんがく」。
ほんわかコメディタッチのかわいい漫画だが、中身はゴリゴリの実録ヤクザ物語。河口が話したことそのままに描いたのだ。そんな読み切り漫画「裏社会科けんがく」の掲載日の前日、河口は河川敷から姿を消す。
「読者から電話があったりしましたよ」
鳴沢の「裏社会科けんがく」は評判を呼び、編集者から続編を打診される。
漫画家として道が拓(ひら)けつつある気配に興奮する鳴沢と、真っ暗闇に咲く桜。そして編集者のセリフの全てからイヤな予感がする。とんだブレイクスルーである。
まず「先生とお話ししたい」という読者からの電話。これは本当にファンからのものなのだろうか。そして河口の詳細を漫画のネタに盛り込もうにも実際の河口は失踪中。もう話してくれない。鳴沢だけでこの漫画の続きを描けるのか。
でも、そんな鳴沢の不安はある意味解消される。怪しい人間が鳴沢の周りに急増するからだ。
「平野」って名前、描いたことあるぞ!? そう、漫画のモデルだ。つまりヤクザ! 鳴沢は、自分がヤクザの実話をまるっと漫画化していたことをやっと悟る。しかも現在進行中のもめ事を描いたのだ。
大変ヤバい状況だが、ポーカーフェイスの下でチラチラと作家魂を燃やす鳴沢先生がとてもいい。
もはや誰を信用していいのか全然わからない。全員がちょっとずつ怪しい。しかも急に凄んだり脅したりせず、フワッと怖いことをする。怖い。それでも鳴沢は危ない方へ少しずつ引き寄せられていく。
なんと彼の「裏社会科けんがく」はとうとう念願の初連載作となったのだ。単行本も即重版! そりゃ取材にチカラも入るだろう。
新宿のキッズたちの間で広がる「親を通さなくていい稼げるバイト」は裏社会のシノギ。いろんな悪いやつらが鳴沢の漫画に忖度ゼロの実名ゴリゴリで登場し、裏社会の人間たちが彼の漫画を読むことになるはずだ。また売れそうだなー。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori