「人の視野が広がる瞬間はいつだって素晴らしい」
劇中の、何気ない一場面のセリフだが、この作品の魅力をかなり的確に伝える言葉ではないだろうか。
それは趣味や部活動のような、好奇心や探求心の対象についての話とは限らない。たとえばもっと大きなこと……自分を理解すること、他者とつながること、世界を知ること。あるいは人間としての生き方、社会のありよう、多様性……あらゆることへの気づきと成長が、これまで多くの物語のなかで描かれ、事実、胸を打たれてきたはずだ。本作は、そんなフィクションにおける「感動の真髄」を改めて意識させてくれる作品でもある。
著者の泥ノ田犬彦は、アフタヌーン主催の新人賞「四季賞」2022秋のコンテストにおいて、短編『東京人魚(トーキョー・マーメイド)』で準入選を果たした。この作品もまたインパクト絶大な秀作なので機会があればぜひ読んでほしいが、その結果待ちをしながら描き上げたのが、この『君と宇宙を歩くために』の第1話にあたるエピソードだという。当初は1話完結の読み切りとして描いたが、Web漫画サイト「&Sofa」の連載作品に決定。第1話はSNSで大反響を呼び起こし、いきなり華々しい連載デビュー作となった。
何がそこまで読者の心をつかんだのか、それは読めばわかる……というと投げっぱなしすぎるので、その魅力の片鱗だけでも語ってみよう。でも、正直「いいからとにかく読んでほしい」というのが率直な気持ちだ。
高校2年生の小林大和は、ちっとも勉強に身が入らず、バイト先でも失敗ばかりで、絵に描いたようなヤンキーへの道を突き進んでいる。そんなある日、彼のクラスに宇野啓介という風変わりな転入生が現れる。やたらと声が大きくて、常にまっすぐな眼差しで、いつもノートを大事そうに持ち歩いていて……コミュニケーションが不得手。一見まるで正反対のタイプに見えるふたりだったが、彼らには“普通のこと”ができない、という共通点があった……。
ウゼえ、ダリい、という虚無的ヤンキー姿勢で学校でもバイト先でも難題を回避してきた小林くんに対して、宇野くんは自作の“テザー(命綱)”=困ったときの対策メモを記したノートを携え、前向きに乗り越えようとする。そんな宇野くんを小林くんは「すごい」と思う。そう思えるキミもすごい、と読んでるほうは声をかけたくなるが、この純粋さが若さの特権かもしれない。いろいろなことに気づくには最適な、貴重な時間がどんな人生にもあったことを、本作は読者に思い出させてくれる。
そして、小林くんは自分が“不得意なこと”と初めて真摯に向き合い、それを乗り越えようとする……。この成長のドラマが、まったく対等で上下関係のない、突然かつ運命的に芽生えた友情によってもたらされるところが、やっぱり感動的だ。
非常に小さな出来事に見えることが実は人生の重大な分岐点になる、という場面の見せ方もうまい。特に、小林くんがワルい先輩に夜の道端で怪しいバイトに誘われ、そこに宇野くんが偶然通りかかって助けてくれるというシーンは、コミカルに描かれながらも非常に注意深く設計されている。ここで彼らの運命が決定的に変わったという大事なシーンでもあり、この瞬間から宇野くんは「一生の恩人」として小林くんの脳裏に刻み込まれるのではないか、とも予感させる。そういう瞬間って人生にあったな……と、読者の記憶もノックしてくれることだろう。
タイトルには「宇宙」と付くが、描かれるドラマの規模は極めて小さい。だが、小さなドラマのなかにも、大きな真理が存在することを我々はなんとなく知っている(先述の「分岐点」の場面も然り)。大樹の幹と枝の模様が、1枚の葉っぱの葉脈に似ているように、マクロはミクロに、ミクロはマクロに重なっていくものだ。小林くんは、これまであてどなく漂うしかなかった世界=広大な宇宙を、先輩飛行士の宇野くんとともに歩み始める。宇野くんもまた、これまで出会ったことのなかった心強い旅の仲間=小林くんを得て、宇宙でも決して孤独ではないと知る。そこから先の物語は、まさに冒険そのものだ。
成長ドラマといっても、小林くんや宇野くんが持つ「弱点」は、なかったことにはならない。それとどう付き合って生きていくか、というドラマになるのが現代的であり、誠実だ。また、一歩前に踏み出すために「恥ずかしがらないこと」という重要なテーマも、いくつもの印象的な場面を生み出している。人間の、特に思春期の若者の行動の多くを縛りつけてしまう「恥ずかしい」という感情こそ、どんな病気よりも、ハンディキャップよりも、何よりも乗り越えるべき高い壁なのではないか。
そんなふたりの姿に、周囲の人々も感化されていくプロセスもまた感動をさそう。小林くんの幼馴染みでヤンキー仲間の朔(さく)、やっぱりコミュニケーションが苦手な天文部の美川先輩ほか、キャラの立った登場人物たちとのアンサンブルが楽しく、また彼らが迎える人生の転機も見守っていきたいという気持ちにさせる。それはひとえに、キャラクターへの強く深い愛情がひしひしと伝わってくる作者の筆致のなせる技だろう。
「生きづらい」という感覚は、種類や程度の差こそあれ、誰もが持っているものではないだろうか。特にいまは、それを抱えながら生きている人が徐々に増えている気がする。近年、『古見さんは、コミュ症です。』や『ぼっち・ざ・ろっく!』といった“欠落を抱えて生きる主人公”を描いた作品が支持を得ているのも、そこに単なるキャラ人気以上の切実な感情移入が存在するからだろう。また、その生きづらさの正体は何なのか?という問いかけを真摯に掘り下げる『リエゾン ーこどものこころ診療所ー』のような秀作も登場し始めている。苦悩の正体を知るということは、つまり「視野が広がる」ということだ。
この『君と宇宙を歩くために』もまた、多くの読者が「これは自分の物語だ」と思える普遍性をはらんでいる。たとえいまは生きづらさを感じていなくとも、その心情を理解できる人間でいたいという気持ちはあるはずだし、この作品がそうした感情を目覚めさせてもくれるはずだ。物語の主人公たちだけでなく、読者にも「宇宙の歩き方」を教えてくれる、まさしくテザーのような青春漫画である。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。