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「津軽三味線マンガ」が存在し得る理由

ましろのおと
(著:羅川真里茂)
2015.05.13
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柳家小三治という名前になる前だというから、数十年前の話だと思う。雪の青森で独演会をやった。噺を披露する前に地元の奏者が三味線弾かせてくれというから、承諾した。奏者は、ボロキレみたいな紋付きを着た、ボロクズみたいなやつだった。
ところが、彼がすこし演奏しただけで、空気が一変した。すごいと思った。出番の際には、舞台袖で聴かずにはいられなかった。
それが無名時代の高橋竹山であり、津軽三味線だと知るのは、ずっと後のことだ。
「嬉しかったですねえ」
小三治はそう言っていた。ボロクズみたいな竹山に会ったことではない。若い自分にホンモノを聞きわける「耳」が備わっていたこと。それが嬉しかった。どれほど支えになったことだろう。
『ヒカルの碁』が囲碁の世界を描いて以来、舞台のマニアックさにはあまり驚かなくなっていた。テーマはなんだっていい。そこに勝負があればいい。勝負があれば、敵が生まれる。ライバルが生まれる。それさえあるならば、舞台はどこだっていい。

とはいえ、この作品のテーマには少なからず驚いた。津軽三味線ってすげえなと思ったんだ。だって、場所は津軽限定、楽器は三味線限定だよ? プレイヤー人口なんて数えるぐらいしかいないだろうし、甲子園みたいな全国大会なんかあるはずがない。
しかし、この作品はそうしたこちらの心配を軽々とクリアする。なければ、つくればいいのだ。かくして、津軽三味線甲子園が中央で開催され、全国から強豪が集まる。勝負がある、戦いがある、ライバルがいる!

リアリティが欠如しているといえば、その通りだ。津軽三味線甲子園なんかあるわけがない。そんなこと、作者は連載前からわかっていたことだろう。にもかかわらず、これを題材として選んだ。そこには、津軽三味線だからこそ表現できるメリットがなければならない。

いったいそれはなんだろう。
ひとつは、四季の美しさだ。
遠い春のいとおしさ、短い夏のやさしさ、暁のみごとさ。それは、日本の楽器だからこそ描ける。現実はどうあれ、ピアノやギターは四季を絵で表現するのには向いていない。

もうひとつ。
なぜ演奏するのか。お客ってなんだ。表現を志すなら誰もがぶち当たる壁を、津軽三味線はていねいに描くことができるのだ。ポップスやってようが、クラシックやってようが、お客の存在は前提だ。だが、津軽三味線はそうじゃない。だからこそ「なぜ演奏するか」「お客とはなにか」哲学的問いが価値を持つ。

近年、音楽マンガが増えた。
もちろん、労せずして高橋竹山の演奏を聴ける、しかもお金はいっさいかからないという社会状況の変化はとても大きい。だが、それだけじゃない。マンガからは音が出ないのに、彼らが果敢に音楽に向かうのはなぜか。野球やサッカーでは表現できないものが音楽にはあるからだ。

楽器はどんなものでも、空気を振動させて音を出す。その「ふるえ」を描きたい。そんな気持ちがあるからこそ、彼らは音楽を描くのだろう。三味線がそれを表現するのに適した楽器であることは間違いない。

既刊・関連作品

レビュアー

草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。IT専門誌への執筆やウェブページ制作にも関わる。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』を出版。いずれも続刊予定。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。

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