暴力と聖なるもの
読み終えて何年経とうが内容を事細かに思い出せる漫画はいくつかある。漫画のページそのものが、ページをめくって「ああ」と思った自分の気持ちと一緒に、胸にずぶずぶと刺さるのだ。漫画が漫画たるゆえんに圧倒されて、それが忘れられない(ギャグでもラブストーリーでもノワールでも)。
『ねずみの初恋』も私はたぶんいろんなタイミングで思い出すはずだ。このページなんて「ああ」と声が出る。
人生で一番くすぐったい初恋と、底が抜けたような暴力。読み返すたびにいろんな痛みを見つけてしまう。
ヤクザ組織に殺し屋として育てられた少女“ねずみちゃん”の初恋は、どこを切っても暴力がデロッと出てくる。恋心で胸がポカポカしたかと思えば、カクンと曲がった先でこんな地獄が待っていたり。
ねずみちゃんとしては、仕事とプライベートを「それはそれ、これはこれ」と器用に分けたかったようだけど、グチャグチャに混ざってしまう。しかもこちらが想像する以上に、このふたつは分かちがたい。
陰惨な描写が続く作品だが(暴力博覧会のようだ)、それでも読まずにはいられないのは、その暴力の奥に聖なるものがちらつくからだ。暴力と聖なるものは、最悪だけど最高の食べ合わせだと思う。そして、その聖なるものが今にもダメになりそうなところに、読んでいるこちらは興奮する。
ひとめぼれしちゃいました
ねずみちゃんの「仕事」はいつもスルスルと進む。
いかにも害がなさそうな可憐な少女だから誰も警戒しない。そんな才能あるねずみちゃんは、命令されたら赤ん坊でもなんでも殺すように育てられた。
ねずみちゃんのおかげで、ねずみちゃんを囲っているヤクザ組織も急成長中。
ボスの“鯆(イルカ)”さんも、ねずみちゃんが大のお気に入り。ねずみちゃんは組織にとって「最強の道具」だから、ねずみちゃんがかつて起こした「事件」も不問にしてくれるらしい。
ねずみちゃんは今でもそのときのことを夢にみるらしいが。
歩く地獄とも呼べるねずみちゃんは、ゲームセンターである少年と出会う。
“あお君”は、ふにゃっとした顔としゃべり方なのに、ねずみちゃんへの恋心だけはやたら強い。私が本作で一番怖いのは、あお君の弱っちい姿と、それに不釣り合いなくらいの猛烈な恋心だ。
こんなふうに愛情を示されたことがないねずみちゃんは、一気にあお君を大好きになる。
恋に落ちた二人は、ひとり暮らしのねずみちゃんのマンションにあお君が転がり込む形で同棲生活を始める。ねずみちゃんはあお君が愛しくてたまらない。
楽しいことが山のように待ってるはず……だったのだけど、最強の道具ことねずみちゃんの甘い幸せをヤクザたちが許すわけもなく。
そりゃないよイルカさん……。
あお君をヤクザたちから助けて幸せになるために、ねずみちゃんは「ある交換条件」をイルカさんに提案する。その交換条件のおかげで2人の関係から暴力が吸い付いて離れなくなる。
暴力の対極に初恋があるわけじゃない。なんて漫画だ。
それにしてもイルカさんと交渉中のねずみちゃんは凄まじい泣きっぷりだった。このボロっカスに泣きまくる顔には覚えがある。あお君がねずみちゃんに告白した日だ。
泣いて泣いて泣き落として、あお君がねずみちゃんを振り向かせたあの日、ねずみちゃんは意味がわからず「なんで?」と言っていた(私もそう思ったよ)。イルカさんに涙ながらに哀願した今なら、ねずみちゃんはあお君の涙がどこから湧いてきたものなのか想像できるかもしれない。私が「聖なるもの」と呼んで恐れているものも、そのあたりにある。
とはいえ、暴力と初恋が対極の存在じゃなくてセットだと気がついた読者は、その救いのなさに呆然とするはずだ。ニ人が健気になればなるほど残酷なことが起こる。
こんな瞬間にさえ切ない恋心が添えられているだなんて、それを私たちがちゃんと読み取れるだなんて、想像つくだろうか。でもそうなのだ。なんて初恋なんだろう。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori