ミュトス王国辺境の教会で働く神官見習いの少女、クロエ。実はお金が大好きで、カード賭博で夜な夜な荒稼ぎする彼女を人は“豪運の聖女”と呼んだ。あるとき、クロエのもとに有力な伯爵家の血筋を引く聖騎士エラルドが訪れる。「神子(みこ)選抜試験を受けてみませんか?」……その大胆な申し出には、ある目的が秘められていた。聖女候補として大教会に潜入し、2年前に起きた殺人事件の犯人を探し出してほしいというのだ。クロエは金貨500枚という成功報酬に目が眩み、ついついエラルドの依頼を引き受けてしまうのだが……。
日向夏の同名ライト文芸を原作に、浅見ようが漫画化を手がける本作は、ひとひねりある視点の面白さで魅せるファンタジー×ミステリの快作。ギャンブルでは負け知らずのシスターが、卓抜した記憶力と観察力、計算に長けた頭脳を駆使して殺人事件の謎に挑む……この筋立てだけで、ミステリ好きの琴線には触れるものがあるだろう。
平民出身のヒロインが上流社会に潜り込んで繰り広げる冒険譚であり、なおかつ本格的なミステリでもあるという「みんなの大好きなジャンル」がバランスよく織り込まれた作りは、エンターテインメントとして盤石。世界観の作り込みもしっかりしている。そして、物語の登場人物全員が匂わせる「用心深さ」は、そのまま作品自体の慎重な足取り、綿密な作劇、もっと端的に言えば「巧さ」とも直結していると言える。注意深く構築された作品世界そのものが、本作の醍醐味だ。
主人公クロエには、劇中の言葉でいう“祝福”(ギフト)と呼ばれる天賦の才能はない。彼女が生まれ持ったものは、卓抜した記憶力のみと言っていい。相手の手の内を読み、嘘やイカサマを見破る鋭い洞察力や、素早い計算力は、自分自身で鍛え上げなければどうにもならないものだ。これは我々「持たざる者」にとっても希望の持てる設定なのではないだろうか。そして、あくまでも彼女の「能力」を評価してヘッドハンティングするエラルドも、単なる王子様キャラの枠を越えて現代的である。
権威を象徴するかのような大教会に招かれた、平凡なヒロイン(といっても十分かわいく見えるが)クロエは、美貌や財力で勝る強敵ぞろいの「神子」候補者の中に紛れ込む。非日常的な世界に放り込まれても、彼女は冷静沈着な観察者としての姿勢を崩さない。とことん理知的に事件解明に臨む本格的な探偵ぶり、華やかな虚飾に踊らされないリアリストぶりが頼もしい。誰よりもしっかりした経済観念の持ち主であるところも、ユーモラスであると同時に尊敬すべき点である。どんな時代にもこんな聡明な女性はいたはずではないだろうか、しかし彼女たちがその才覚を発揮しえたケースはどれほどあったのだろう……と、歴史に思いを馳せてしまうほど魅力的なキャラクターだ。
神秘の力が当たり前に存在する世界観ながら、クロエもエラルドも本当に頼りにしているのは己の才覚であり、知性である。地道に謎を解決していく彼らの姿は、ファンタジー世界においては異端に見えるが、ディテクティブ・ストーリーに慣れ親しんだ我々にとっては親しみ深い。現代の魔法=テクノロジー頼みの便利な生活に慣れきって、脳が軟化してしまった現代人にも、彼らの活躍は十分以上にヒロイックに映る。
そんな異色の探偵ヒロインが、はたして誰の、どんな嘘を見破るのか? 大いに期待を募らせる導入編である。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。