新しい扉が開くとき
「なんだか最近、いろんなことが起きるなあ」と感じる時期がある。良いことも悪いことも起こるそんな時は、後から思うと人生が大きく変わるタイミングだった。運命が動くときは、同時多発的に何かが起こるものらしい。『余命一年、男をかう』を読み始めてすぐ、そんなことを思った。だって、眠りにつく前、「明日は名前も知らない男と一緒にお風呂に入るかもしれない」なんて想像したことないでしょう?
この物語の主人公・唯は、節約が趣味の会社員、40歳。堅実に生きてきた彼女に「はじめて尽くしの1日」が訪れる。
人にお金を貸す、タクシー代を払う、そして「男を買う」。どれも珍しくはない経験だけど、唯にとってはすべてが初めて。「20歳でマンションを買った女」の異名を持つ彼女にとって、節約は何にも勝るエンタメだったのだ。恋愛や人付き合いもふくめ、「不確定要素」「コスパの悪いこと」は遠ざけながら生きてきた。
浪費はしないが、自分の城であるマンションは心地よく整え、もう一つの趣味・キルト制作に没頭する毎日を過ごしている。そんな唯に降りかかったのは「ガン告知」!
区から案内があり、「タダなら」と受けたガン検診で、子宮頸ガンが見つかったのだ。治療しなければ余命は1年。ガンが治った人はいくらでもいると言われたけれど、治療で苦しむくらいなら、緩和ケアだけ受けて穏やかな最期を迎えたい。それくらいの贅沢はしてもいい……。
そう腹をくくったつもりでいても、やはりショックは隠せない。そんな彼女の前をひらひらと横切るのは
ピンクの頭のホスト(っぽい人)! ここは病院のロビーなのに、なりふり構わず誰かにお金の無心をしている。あまりに憔悴(しょうすい)した様子をうっかり笑ってしまった唯に、彼は言うのだ。「金貸してくんない?」。
やけっぱちの唯は、彼にお金を工面してあげることにする。その額、約70万円。どうにか急場をしのいだ彼は、やっぱりホストのようで、お店の名刺を差し出し、「リューマ」と名乗る。
では、自分も彼を「買った」と思おう……。唯は初めて自腹でタクシーに乗り、「リューマ」とホテルに乗り付けるのだった。
死期を悟ると、人は大胆になるものなのか。余命宣告を受けても泣き言を言わない主人公が新鮮だ。ここから「ガン宣告」と「ピンク頭のホスト」が、あらゆるものを節約して生きてきた彼女の世界のいろいろな扉を開けていく。
シンデレラタイムは70時間
唯のしたことは、貧しいマッチ売りの少女から、お金持ちが気まぐれにカゴごとマッチを買い取ったようなもの。唯としては、持っていてもしょうがないお金で彼を買ったつもりなので、返してもらおうとも思わない。名前を聞かれても、バレバレの偽名を名乗る。
リューマもあれこれ詮索せず、言われるままに偽名で彼女を呼ぶ。若くてキレイな男と過ごしたひと時は新鮮だったけど、それはこの日限りのこと。唯はまた、コピペのような毎日を送る。しかしそんな彼女の前に再び「リューマ」が現れる。
彼は「借りた」お金を返す気で、唯を探していたのだ。
差し出されたのは、唯と「リューマ」の本名が記された借用書。しかし、その返済期限は3年後になっており……。
唯は、1時間1万円×70時間で、「リューマ」こと瀬名の時間を買いたいと申し出る。
こうして唯の「70時間のシンデレラタイム」が始まった。
大人の社会科見学
自分を「コスパの良い不倫相手」扱いしていた男を撃退したのを皮切りに、どんどん大胆になる唯。瀬名と一緒に回らない寿司や温泉旅行に繰り出す「大人の社会科見学」を満喫する。
こんなの楽しいに決まっているが、なんせこの時間は1時間1万円なのだ。マッチ売りの少女が、売り物のマッチを灯(とも)した火に見る夢のようでもある。
私なら命のタイムリミットがわかったらどんな贅沢をするかと考えながら読んだが、節約好きのはずの唯から散財の計画がバンバン出てきて笑ってしまう。そしてその贅沢は、ちょっとお金があれば、唯よりずっと若い子でも実現できそうなことばかり。お金を使い慣れておらず、自分にもお金をかけてこなかった唯らしく、大それた欲が出てこないのは少し切ない。しかしそんな唯も、瀬名になら惜しみながらもお金を使えてしまう。1人の時間が好きなことと、「1人でいたい」ことは別だったんだろうな……と胸が痛くなる。
シンデレラタイムの終わりが近づき、瀬名は言う。
余命1年にして、瀬名という不確実要素に出会った唯と、まだ本心は見えないが確実に唯を気にかけている瀬名。お金が結び付けた2人の間に恋は生まれるのだろうか。2人の関係が変化する、この過程が面白い。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
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