“別の存在”がこちらを見ている
「事件」なんて規模じゃ収まらない乱れには「事変」という名前が与えられる。テロ、災害、疫病といった大きな乱れに吹っ飛ばされるたびに、私たちはそれ以前の世界をふりかえり「すべてが変わってしまった」「もう後戻りはできない」と気づく。『ダーウィン事変』も私たちをかき乱し、遠い世界に連れて行ってしまう嵐のようなマンガだ。
“ヒトではない存在”が、私たちと同じ言語を使って、こちらに問いかけてきたら。
私が人間である感じを、私はいったいどう説明したらいんだろう。彼は“チャーリー”。アメリカ中西部のミズーリ州で暮らす、高校に通いはじめたばかりの15歳だ。
人間が動物の側に立ち、「肉食の人間」に向かって復讐をはじめたら。
彼らは“動物解放同盟(ALA)”。テロ行為による無差別殺人を仕掛ける犯罪集団だ。アメリカの都市部ではALAによるテロが頻発している。
ALAはかつて“チャーリーの母”を保護した。ちょうどチャーリーを身篭っているときの出来事だ。
チャーリーの母はチンパンジーで、チャーリーの父は人間。人間とチンパンジーの間に生まれた交雑種“ヒューマンジー”は、チャーリーのために与えられた種の名前。
人間にもチンパンジーにもできないことがヒューマンジーにはできる。チャーリーの出生に大きく関わったALAはテロリズムの真ん中へチャーリーを引き込もうとするが……?
ためらうことなくALAをボコボコにする。ヒューマンジー強い! でも、なんで? チャーリー、ヒューマンジーなのってどんな感じ?
「チャーリーは進歩的」
チャーリーには“家族”がいる。育ての両親である彼らの種は人間だ。
壁に飾られた家族写真がどれもいい。大切に大切に育てられたんだろうな。チャーリーの存在は秘密裏ではなく、世界中の誰もが知っている。そんなヒューマンジーが田舎の高校に編入してきたらどうなるか。
好奇心旺盛な人間の女の子“ルーシー”と出会う。握手にホッとする。が、ルーシーは高校の中で少し浮いた女の子だ。つまり……?
ルーシー以外の人間はチャーリーに対してこんな調子。しかし、このページ、読んでチクッとしませんか? 「チャーリーは進歩的」と「あんたはサル以下」が含む無邪気かつ差別的な響きが気になってしょうがない。チャーリーの前でそれ言うか? でも、私も「サル」と言われたらムッとする。そう、このバツの悪さ!
きっと誰もが無意識に信じる「人間の特権」と、それがどんな姿で地球上に現れているのかを、『ダーウィン事変』はいろんな手段と角度から描く。
人間とチンパンジーのDNAを持つチャーリーによるド直球な疑問はごもっとも。わかるけど、人間である私はちょっと怖い。
チャーリーだけじゃなく、ルーシーも種と命にまつわる際どい会話をバンバンぶつけてくる。
理屈で取っ組み合うロジカル相撲じゃなく、私も素直に答えが知りたいよ。ヴィーガンは、お肉もお魚もたくさん食べる私のことをどう思っていのだろう? 知りたい。だから、めちゃくちゃ楽しい。
彼はヒーロー
ルーシーの率直さや、チャーリーが遺憾なく発揮する別種ぶりに最初から最後まで面食らうけれど、やがて深く安心するマンガでもある。
たとえば「ヒトが抱く不安」をチャーリーが発見すると、彼はどうするか? チャーリーはヒトではない。だからチャーリー自身がヒトのような不安を感じることがない。でも、不安を理解する。
不安とは何なのか? ルーシーや両親はヒトで、彼らは不安を抱く生き物……こうやってチャーリーが「ヒトの世界」を観察してツカツカと歩み寄るさまに肌が粟立つし、うれしくなる。
チャーリーが活躍するたびに、ルーシーがネコを助けた場面を思い出すのだ。この瞬間の彼女はヒーローであったし、チャーリーがテロリストと戦う姿もヒーローで、そのどちらにも私がよく知っている正義がある。そう、種でくくる必要ってないのかも。あちこち違ったとしても、大切なものを守りたくなる習性は一緒だ。
……でもやっぱり、『ダーウィン事変』を読んで以来、私が属するヒトという種をクリアでまん丸な目玉がジッと観察しているような気配がずーっと消えないんだよなあ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。