顔も知らない人のお家の玄関で、私は今日も生きています──。
たかたけしによる『契れないひと』。この作品はまず、試し読みを読んでみてください。
訪問販売員の野口は入社後1件も契約を取れないまま数ヵ月。パワハラ度が高い上司に詰められたり、客に冷たくあしらわれたりと、いわゆるブラックな職場で奮闘する営業ウーマンの悲哀をクセの強いギャグで描いた作品……?
きっと、よくあるシュールなお仕事奮闘ギャグね、なんて第1話を読んだらそう思ったでしょう?
それはそれで間違ってはいないと思うんですけど、この作品はたぶん、きっとすごく人を選ぶ作品です。でもこの試し読みを普通に楽しめたら、たかたけしが繰り出す文学的でシュールな世界観をしっかり楽しめると思います。
そしてもし、読んでみて胸にチクリとするような感覚を覚えたら、どうか、しっかりその気持ちと向き合ってしっかり読み込んでみて欲しい。イヤなんだけど、どうしても目が離せなくなってしまう。『契れないひと』はそんな本作はたぶんそんなあなたのための作品です。
野口がやっている仕事は、子供のいる家庭を回る英会話教室の飛び込み営業。訪問して、セールストークを行なって、まずは体験レッスンを勧誘して……。顔も知らない人のお家の玄関で生きることがお仕事です。だけど野口は入社以来まだ1件も契約を取れていない。そう、契れていないんです。
当然ながら、お客さんを勝ち取ってくることが成果になる営業マンだからこそ、結果が出なければ猛烈に詰められます。パワハラセクハラ当たり前。客は客でどうかしているひとばかり。本人だって、自分がやっていることが押し売りだって感じている、なんでこんなことしなきゃいけないんだろう、誰かの役に立っているのかななんて考えこんでしまっている。
そう、辞めたいな、辞めようかなと考えてはいる。でも、特に何もやりたいこともないから続けているというような日々です。
いままでの人生で、特に思い悩むようなこともなく、連戦連勝を続けているようなヒトは置いておくとして。
野口のように、生きていくために「生きることを」我慢しなければならない状況を味わったことがある人の方が多いんじゃないかと思います。そんな時期の、焦燥感に駆られてしまうような、そんな過去を持っているひとにこそ手にとってほしいのです。
では、野口をはじめとする「登場人物たち」に共感できるか?って言ったら、たぶん共感は出来ないんです。なぜならブラックな職場とか関係なく、登場人物がみんな、少しずつ狂っているから。どちらかというと、拒絶に近い気持ちを抱くと思います。
では、なんでこんなにも作品に共感するのだろうかと思ったら、登場人物が置かれた「状況」が生々しく体験できるからなんじゃないかと思いました。
当たり前のことですが、読者にとっては基本的にあくまで他人事です。でも、その状況のイヤーな空気感が誌面越しから情念のように伝わってきて、自分の思い出とリンクしてくるのです。
これは不思議な体験で、同時にとても文学的だなとも感じました。コマとコマとの間……行間に込められた物語が読者に雄弁に、におい立つように語りかけてくるのです。
世の中はデキる人だけじゃありません。営業という獲るか獲れないかという実力社会の中で、ダメならば早めに見切りをつけて退場する社会で野口はただ歯を食いしばって留まろうとしています。
契約が取れなくなってしまい退場していく同僚に、あなたは契約が満足に獲れないのになぜ続けるの?と訊かれ、彼女は何もやりたいことが無いから(続ける)と答える──。
淡々と描かれるシーンを見て、私の中で何かがカチッとハマったというかなんというか、この作品をただのお仕事マンガ以上のものに押し上げた感覚を覚えました。
間違いなく人を選ぶ作品であるのですが、この話が自分の物語だ、と思えたら、追い続けたくなるなにかがあるのです。野口というフィルターを通して弱い部分を見せつけられ、そしてその弱い部分やかつての辛い過去を受け入れられるようになって、救いが得られるような。
世間に笑われても働く。泣いても生きる。それでも生きていかなければならないから。
それでも耐えて、留まろうとすることで、彼女の中に変化の兆しが生まれているように見えます。でも2巻になっても3巻になっても、それでもきっと野口はいつまでもダメな訪問販売員のままだなんじゃないかと思います。でもそんな野口がどこまでいけるのか、それはそれで見てみたいと思ってしまうわけです。
こんなに読み始めと読み終わりの印象が違う作品は久しぶりでした。ぜひ体験してみてください。
レビュアー
静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。