世界レベルの作品
素晴らしい作品です。
おまえが読んでるその本、今すぐ置いてこっちを読めよ。
そう説いてまわりたくなります。
これを日本というドメスティックな環境だけで味わうのは、とてももったいない。そう感じました。
かつて、『攻殻機動隊』のアニメ映画(押井守監督)のDVDが、日本より海外で大きく支持され、セールス的にもはるかに勝っていたことがありましたが、この作品もまた、海外でこそ高く評価される可能性を秘めています。
この作品が抱えた問題意識も、ハッキリ「世界」を照準にしたものです。
マンガはロボットをどう見てきたか
本作のテーマを明確にするために、ロボットマンガの名作をふたつ、ご紹介しましょう。
ひとつは『鉄腕アトム』。
言わずと知れた国民的作品です。
アトムはatomすなわち原子と命名されています。動力は原子力であり、胸に原子力エンジンを積んでいました。
とんでもないと思う方も多いかもしれませんが、『鉄腕アトム』が描かれたころ、原子力は夢のエネルギーだと考えられていました。
なにより、人間がみずからつくりだしたエネルギーであることが画期的でした。
火力にしろ水力にしろ馬や牛など動物の力にしろ、エネルギーは基本的に自然界にあらかじめ存在するもので、人はその力を利用することしかできませんでした。しかし、核エネルギーすなわち原子力は違います。人間が科学の力でみずから生み出したものです。アトムはまさしく「科学の子」でした。
ご存じのとおり、原子力を使えばかならず大量の核廃棄物(核のゴミ)が生み出されます。これは自然界には存在しないすさまじい高濃度の放射能を発する、たいへん危険なものです。核廃棄物が無害になるためには、(本作の記述にしたがえば)25万年という長い年月が必要になります。
アトムが描かれた時代にも、核廃棄物の問題はありました。しかし、科学が発展すればそれは解決されるだろうという見方が有力だったのです。再利用の可能性もありましたから、危険な廃棄物が生み出されることはたいして問題視されてはいなかったのです。
やがて、ロボットは美しい女性の姿で描かれるようになります。永井豪先生の『キューティーハニー』です。
ハニーの動力は空中元素固定装置とされています。これはまったく空想の産物であり、すでにハニーの時代(1973年)には原子力が夢のエネルギーではなくなっていたことがわかります。
アトムは天才博士が亡き息子の姿をかたどって開発したものです。ハニーも同じだと語られていますが、アトムと同じ動機でつくられたものでないことは明白でした。
あれは男の性の対象――早い話が高性能ダッチワイフです。瞬時にさまざまなコスチュームをまとう能力も、そう考えると納得がいきます。
この作品は少女の圧倒的支持を受けることになりますが、作者はそのことにたいそう驚いたそうです。そりゃそうだ。女の子人気が高いなんて、ブラックジョークじゃないか!
アトムにせよハニーにせよ、人の願望を充足するためにつくられました。「亡き子をよみがえらせたい」「かわいい女の子と暮らしたい」どちらも多くの人がやむなく抱いてしまう願望であり、ロボットはそれを満たすものとして空想されたのです。
ロボットは「永遠」に生きる
本作に描かれたロボットは、人の願望の充足のためにつくられてはいません。むろん、それは大事な役割の一部ではありますが、むしろ『アトム』や『ハニー』では大きく扱われることがなかったことこそ、本作のテーマになっています。
上で核廃棄物の放射能濃度が無害化されるためには、25万年という年月を要する、と語りました。
よく考えてみてください。25万年という年数は、人間の尺度ではありません。クロマニョン人が描いたといわれるラスコー洞窟の壁画でさえ、2万年前なんですよ! 人間は25万年を経験したことがないのです。
しかし、ロボットならそれが可能です。ハードウェアのメンテナンスを定期的におこなえば、データは永遠に生きることができます。本作の主人公といえるロボット・恩田カロ子さんは核廃棄物の放射能濃度が低下するまでそれを見つめる任務を与えられました。恩田カロ子という名前は、フィンランドにつくられた世界初の核廃棄物埋蔵施設「オンカロ」からとられています。
この作品はロボットの「永遠」という側面に着目しそれをテーマに描いた作品です。永遠なんてあまりに途方がないことですから、マンガをふくめエンターテインメントの題材になることはあまりなかったのですが、わたしたちは今、それを現実のこととして考えざるを得なくなっています。
この作品で描かれる過去も未来も、ハッキリした時は書かれていません。しかし、たった1ヵ所だけ、時間と場所が特定できるところがあります。
「21世紀の初頭、原子力発電所が爆発した」
本作がこれを契機として生み出されたことはまちがいないでしょう。わたしたちの多くが永遠を考えざるを得なくなったのも、このときからです。
むろん、この作品の優れた点は上に書かれたような理屈っぽいポイントばかりではありません。
擬音表現をおさえ、白と黒のみ(マンガは白黒が基本ですが、スクリーントーンや作画技術によって色調にグラデーションをつけることができます)で表現された世界は、この作品に描かれる世界――永遠の世界にとても合っています。
ここまで絵とストーリーがシンクロした美しい作品はない。
そう断言してもいいと思われます。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/