もしその人が大人になって目の前に現れても、あなたは“本当に”気づけますか。
『御手洗家、炎上する』で私たちをサスペンスの沼へと突き落とした藤沢もやし先生。その構成力と情報コントロールの巧みさは疑いようがありません。そんな先生の最新作『誰そ彼のひと』第1巻が、2026年2月13日に発売されました。
本作も第1巻から、読者の心をザラっとさせる違和感を忍ばせ、今後の展開が気になって仕方なくなるサスペンス・ラブとなっています。
初恋は、消えない。消えたのは“彼”のほうだった。
大手企業会長の血縁者だという一家が、息子の療養のため理子の住む町へやってくる。息子・司馬龍臣はどこか儚く、現実から少し距離を置いているような少年です。その姿に、理子は自然と惹かれていきます。
夏の終わり、誕生日を迎えた龍臣に想いを伝え、祖母から譲り受けた指輪を渡して「大人になったら結婚しよう」と約束を交わした翌日、龍臣とその両親は忽然と姿を消します。さらに彼の両親が投資詐欺を行っていたことが発覚し、町は騒然となります。
――あの人は、いったい誰だったのか。
初恋は消えていない。
消えたのは“彼”のほうだった。
止まった時間を動かし出す勇気
けれど彼女の時間は、どこかで止まったままです。
彼を思い出すたびに胸が疼くのは、未練ではない。それは“未解決”だからだと理子自身も感じています。
「龍臣」を見つけ出し、自分の気持ちにケリをつけるために──。
藤沢作品のヒロインが魅力的なのは、ここにあります。受け身で嘆くのではなく、自ら真実を掴みにいく。理子もまた、その系譜に連なる存在です。
「誰そ彼」というタイトルが示すもの
「誰そ彼(だれそかれ)」はもともと「あなたは誰ですか」という問いかけの言葉。そこから派生して、輪郭が曖昧になる時間帯「黄昏(たそがれ)」の意味も重なっています。
“あなたは誰?”という疑問と、
“輪郭が溶ける時間”という叙情。
この二つを同時に抱えているこのタイトルは、龍臣という存在そのものを指しているように思えます。彼は正体の分からない人物であり、同時に、理子の記憶の中で輪郭がぼやけた存在でもある。
本作のサスペンスは「犯人は誰か」という類のものではありません。
それは、「この人は誰だったのか」という、存在そのものを問う物語です。
透明な彼を捕まえにいく
藤沢もやし先生は、日常の裏側に潜む“歪み”を炙り出す作家です。今回もまた、初恋という誰もが抱える感情の中に、真実と虚構の境界線を引いてみせました。
透明な彼を捕まえるための動きは、まだ始まったばかり。
理子は、彼の「核」に触れることができるのか。
そして私たちは、その答えを受け止める覚悟があるのか。
続きが、気になって仕方ありません。








