プロ棋士ではなくアマチュア高校生たちの奮闘を描く将棋部青春漫画
高校生の部活にフィーチャーした漫画はこの世にたくさんあります。野球部やサッカー部、バスケ部などに代表されるスポーツ系、そして吹奏楽部や書道部、軽音部、競技かるた部などに光を当てた文化部系。今回紹介する本作が描くのは文化部系、それも部活漫画としては決してメジャーとは言えない、将棋部です。将棋漫画といえば、プロ棋士たちの過酷な戦いやプロ棋士を目指す奨励会員の苦闘を描く作品に話題作が多い印象ですが、部活として取り上げた作品は意外と少ないかもしれません。
まるで命を削るような戦いを繰り広げるプロ棋士たちがいる一方で、部活として将棋と接する高校生たちも、確かに存在します。本作は、エンタメやノンフィクション作品で私たちが目にしがちなプロたちの壮絶な生き様とは異なる、名もなき高校生たちが悩み、壁を乗り越え、喜びを分かち合う青春を、将棋を通して描いていく物語です。
まず、プロ将棋の世界について簡単に触れておきましょう。一般的にプロ棋士になるには、奨励会というプロ棋士を養成する機関に入会し、年2回開かれる三段リーグで上位2名に入る必要があります。つまり、1年で4名までしかプロにはなれない超狭き門。年齢制限などもあり、プロ予備軍の時点でもうシビアな世界です。
柔和な表情から優しい印象を受ける羽生善治も、対局時の昼ご飯が話題になった藤井聡太も、みんな鬼です。先日、Xに投稿された将棋盤の棋譜画像を見た羽生善治が、さらりと「これは私が初めてタイトルを取った時の棋譜ですね」と引用リポストしていて衝撃を受けましたが、すさまじい才能と努力によって積み上げたスキル……いや、「人生」でもって将棋と向き合っている。そんな鬼たちがうごめく想像を絶する世界なのです。
※参照(
https://x.com/yoshiharuhabu/status/1988023543280656865)
名シーンの連続! ピュアで愉快な愛すべき登場人物たちに胸が熱くなる
本作の主人公は、銀谷悠月(かなやゆづき)。中学1年で奨励会試験合格し、中学2年冬に奨励会を退会した元奨励会員、通称「元奨」。人生を懸けた将棋に10代前半で挫折し、将棋から離れてしまった高校1年生です。そんな彼に、クラスメイトの吉金露凛(よしかねつゆり)がこんな風に声をかけたことで、新たな人生が動き出します。
露凛は奨励会のHPをチェックするくらいの将棋好き。そこに名前のあった悠月が同じクラスだと知り、声をかけたわけです。しかし志半ばで奨励会を退会した悠月にとって、将棋は自分を否定する存在であり、素人の将棋部など当然興味なし。それでも悠月の将棋部入部を賭けて、半ば無理やり対局を挑む露凛。奨励会入会時点でアマ五段付近の力があるとされており、現在1級レベルの露凛と悠月では、その実力差は歴然……なのですが、彼女は対局中、こんな表情を見せるのです。
勝敗はもちろん大事ですが、それだけでなく、ピュアに、自身の成長や手ごたえも感じながら指す、楽しい将棋。
真っ直ぐな彼女の将棋を、誠意をもって受け止める悠月。そんなふたりの対局には、プロ棋士のそれとレベルは違えど、美しさがありました。彼女の指す将棋をきっかけに、悠月はあらためて将棋に対する自分の正直な気持ちに気づきます。
思わず涙をこぼしてしまう、その瞬間を目撃する露凛。しかし――
ふたりの間に、ゆっくりと温かい、とても大切な時間が流れている、そんな気がしてくるような名シーンです。その涙には意味が、理由があるはず。でも、あえて詮索もしないし触れもしない。相手の気持ちに寄り添う露凛の優しい心が、胸を打つのです。
本作にはこのふたり以外にも、様々な将棋部員が登場。なかでも夜野壱成(やのいっせい)が、とてもいいキャラクターで個人的にお気に入り。
実は将棋部は、とある事情で顧問から部活動停止、さらには大会出場禁止処分を受けていました。そこで、ある先輩部員は、元奨励会員という立派な肩書がある悠月を利用して、大会出場の許可を得ようと言い出します。
「困ってんだろ」と制止してくれたのが、夜野。人の感情を敏感に察し、後輩を守る夜野先輩、カッコいいです。そんな夜野と悠月の対局シーンも必見。夜野は実力差のある悠月相手に「アヒル囲い」という奇襲B級戦法(プロではまず指されないユニークな戦法)をとるのですが、その描写が愉快。
将棋の戦法に命が吹き込まれている……! しかも暴れん坊のアヒルだなんて、なんだか将棋そのものが可愛く思えてきますし、そんな将棋を指す夜野にも愛着が湧いてしまいます。
真っ直ぐに将棋が好きで相手に寄り添えるハートを持つ露凛、一見怖そうながら人の心を知る(でも将棋はワイルドな)夜野など、知り合ったばかりの部員たちに囲まれてワイワイと将棋を楽しんでいる。そんな光景に、奨励会での長く孤独な戦いに疲弊しきった悠月は、ふと思うのです。
プロでもなく、プロを目指すでもない。アマチュアだけど、高校生だけど、自分なりの目標をもって将棋と向き合い、楽しんでいる個性豊かな将棋部員たちとの交流が、悠月の心を溶かしていく。奨励会を辞めた少年の、友情と再生の物語。
彼らの人生を追っていくうちに心の湿度が高まって、思わず目から液体が零(こぼ)れ落ちてしまう、そんな温かい作品なのです。
レビュアー
ほしのん
中央線沿線を愛する漫画・音楽・テレビ好きライター。主にロック系のライブレポートも執筆中。
X(旧twitter):@hoshino2009