「憎めないやつ」のチャンピオンみたいなおっさんが、小さな港町でニャッハッハと笑う……『完本 化け猫あんずちゃん』は、ただそれだけなのに、まったくそれだけじゃない。ずっと手元に置いておいて、ごろんと寝転んだタイミングなんかに何回も読みたい豊かなマンガだ。
そのおっさんは“あんずちゃん”というおっさんらしからぬ可憐な名前をもつ。そして人間ではない。あんずちゃんは、南伊豆の池照(いけてる)町にある草成寺(ソーセージ、ですね)の和尚さんに拾われた子猫だった。で、どういうわけか10年たっても20年たっても元気に生き、めでたくも生後30年を迎えたあたりで……!
なぜか化け猫となった。ニャーッとも言うが、二足歩行で日本語をしゃべるしゃべる。バイクだってブンブン乗り回す。和尚さんもおかみさんも、あんずちゃんと30年も一緒にいるから「まあ化け猫になっちゃうよな」といった具合に妖怪化を受け入れている。
お巡りさんに止められて気まずそうな顔のあんずちゃん! かわいい。ということで、池照町のみなさんも化け猫あんずちゃんの存在をフツーに受け入れている。無免許のあんずちゃんにド説教したり、マッサージを依頼したり(あんずちゃんは出張マッサージの仕事をしている。化け猫パワーなのか良きセラピストとして愛されている)、小学生男子が慕ったり。みんなの日常になじみまくっている。
猫だが9割方おっさんなので、しぐさも言動も完全におっさんのそれだ。釣りやパチンコも大好き。でもやっぱり丸っこい背中やヒゲの感じは実に猫。あと、実はとても優しい。
ウズラ(らしき鳥)の面倒をみたり、並行してインキンに悩んで病院に行ってみたり。
そして化け猫だから「人間には見えないもの」もちゃんと見える。池照町の人びとの周りには、あんずちゃん以外にも妖怪やいろんな神様が普通にいる。
あんずちゃんの友達“よっちゃん”は、地元の「なんでもあるホームセンター」にせっかく就職できたのに即クビに。何をやってもうまくいかない。それもこれも、このフンドシ姿の人間ならざるものの仕業なのだ。だからあんずちゃんはなんとかしたくて直接対決に持ち込む。
怪異も、トホホな毎日も、かゆい金玉も、友達や追い詰められた人への温かさも、すべてが等しく描かれる。だからやみつきになる。
ところで、あんずちゃんのことを映画館や配信でご存じの方も多いはずだ。『完本 化け猫あんずちゃん』の前半に収録された「無印版」は、日仏合作のアニメ映画『化け猫あんずちゃん』の原作。無免許運転で警察に捕まるあんずちゃんのすっとぼけた顔や、チャリを盗まれ怒り狂う様子など、映画を見た私たちが「あんずちゃんってば、しょうがないなあ」と思った強烈な瞬間は、原作の中に全部ある。
そう、映画でもあんずちゃんはイカを落として泥だらけにしていた! 本当にしょうがないやつなのだ。
このイラストはおそらく『完本 化け猫あんずちゃん』のための描きおろしだと思うのだが、とてもいい。映画を見たあとだと、余計にいい。いろんなことを思い出す。
さて、『完本 化け猫あんずちゃん』の前半「無印版」は、2006年から児童漫画誌「コミックボンボン」で連載されていた作品だ(なので読み仮名がついている)。そして後半には「コミックDAYS」で連載された17年ぶりの続編『化け猫あんずちゃん 風雲編』を収録する。
「風雲編」は「無印編」から3年後、35歳になったあんずちゃんの物語だ。前シリーズで小学生だった林と井上も中学生になって登場する。
舞台はもちろん池照町だが、3年前とはちょっといろいろ事情が異なる。
前町長の汚職からの失職により急きょ始まった地獄のような選挙。あんずちゃんにも選挙権が発生しており「どっちに投票する?」なんて悩んでいるが、選挙ポスターから演説、当確までの流れ、そして新町長による町政、何から何まで全部面白い。ちなみにあんずちゃんが投票しなかった方が当選する。
そしてあんずちゃんは宝くじで3億円当たってしまい、宝くじに当たった人が経験しそうな生臭いことをだいたい経験し、
なぜか2億円で池照町の怪獣映画を作ろうとする。だまされそうな空気がプンプンしているが、大丈夫なのかあんずちゃん!
ところで、あんずちゃんは、ただお金持ちになっただけではない。なんと無免許運転から卒業している(違反切符は切られるが)。
移動手段が二輪から四輪へ。いろいろオトナになっている! でも無印編であんずちゃんが見せた無償の優しさは変わらない。苦くて美しいエピソードの宝庫だ。
池照町も、草成寺の和尚さんとおかみさんも、3年前とは違う。いつまでたっても死なずに化け猫となったあんずちゃんの身にもいろいろなことが起こり、心がざらつくこともいっぱい経験する。
なぜならあんずちゃんは人間と一緒に生きているからだ。とはいえ35年目も引き続きおっさんのままで、底意のなさも変わらない。とにかく憎めないやつなのだ。読んだら絶対大好きになっちゃうタイプの化け猫だ。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori