ハロルド作石の『BECK』は音楽マンガの金字塔である。音楽を題材にマンガを描こうという作家で、この作品にふれない者はいないだろう。
また、『BECK』を読んでミュージシャンを志した、と語る少年少女が多くいるというのも、この作品が勝ち得たもっとも誇るべき栄冠のひとつである。たとえば『キャプテン翼』を読んでサッカー選手になろうと思った、と語るプロサッカー選手は多くいる。『BECK』もまた、そういう作品なのだ。
とはいえ、『BECK』を通じて表現されていたのは、音楽ばかりではなかった。むしろ、その背後にあるものを描いたがゆえに、この作品は成功作たり得たのだと思っている。
音楽の背後にあるもの。それは神秘主義である。
たとえば、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが同じ4人組バンドの一員だったなんて、奇跡以外の何物でもないだろう。別の言葉でいえば神秘主義であり、音楽にはこうした不思議がつきまとっている。『BECK』は、この側面を音楽の重要な要素として表現したのだ。炯眼というほかはない。
メンバー全員が同じ夢を見る。シアトルのジミ・ヘンドリックスの墓でバラバラになっていたメンバーが再会する。暗闇でボブ・マーリーが奏でる音がきこえる。聖地へと誘う声がする。これが神秘主義でなくて何だろう。言い換えれば『BECK』とは、神秘主義を描いた作品でもあったのだ。
『RiN』はこのテーマを、さらに進化/深化させて生まれた作品である。
未来を幻視し、霊を見る力を持った少女。人身御供の歴史を持つ奇祭。前世を夢見る主人公。幾度となく現れ重要なメッセージをもたらす熊野神社の使い(八咫烏)。「TORUS」という謎の言葉を残し世を去った天才マンガ家。生と死を繰り返す中で幾度となく出会った相手。
こうしたテーマは、マンガではほとんど表現されてこなかった。理由は簡単、これで話が楽しく明るいものになるはずがないからだ。物語はどうしたって陰にこもったものになってしまうし、話が深まれば深まるほど、人気とは無縁の方向に進んでしまう。
マンガ家として長いキャリアがあり、大衆人気とは何かを熟知している作者が、そのことに気づかないはずはない。これはやばいぞ、とは何度も思っているはずだ。本作の魅力的なキャラクターと、彼らが織りなす楽しいギャグは、その焦燥感から生み出されている。いやほんと、これがなかったら救いようがないよ、この話。
また、このテーマが持つ危険性も、じゅうぶんに理解している。
本作では「おまえは何者でもない」というメッセージが何度も語られる。だが、「何者でもない」人に「自分は特別だ」と考えさせるのに、ここで描かれたことほど適当な題材はないのだ。要するにあれだ、ツボ売って大もうけとか、空中浮遊で財産ぜんぶ出させるとか、スプーン曲げるとか、当選するはずないのに選挙に立候補とか、そのたぐいだ。それとは違うんだ、といくら力んだところで、違いを証明することはできない。かりに生死を繰り返す中で何度も出会った相手がいるとしても、それを語る言葉は霊感商法と変わらない。そんなもんないと言ってしまった方が、精神衛生上どれだけいいかわからない。
そんな困難にもかかわらず、本作を描こう・描きたい・描けると考えた作者に拍手を送りたい。どうしたって今、これを表現しておきたいという強い思いがあったんだろう。
本作がきちんと完結し、当初のテーマを余すところなく表現できたなら、それまでマンガというジャンルで誰も表現していなかった作品が生まれるだろう。長いマンガの歴史に新たな1ページが刻まれることになる。
おそらく、クライマックスでは「TORUS」という死者が残した謎の言葉を表現することになるだろう。トーラスとは、自らの尾を噛む蛇であり「死と再生、全ての魂があの世とこの世の間を無限に循環する」ことを意味しているという。
「死者が残したメッセージが深い意味を持つ」というのは『BECK』の重要なエッセンスだった。これがあったから『BECK』は傑作たり得たと言ってもいいだろう。
『RiN』もまた、そこに至ろうとしている。いや、きちんと描けたら『BECK』よりぜんぜん凄い作品になるよ、このマンガ。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。