何か一つ、突出した才能をもちながら、それ以外のステータスはゼロに近い。そんなキャラクターは、時に抗いがたい魅力を放つものです。
本作の主人公である少女ラムネもまた、圧倒的な才能がありながら、何かが欠落しているキャラクターのひとり。舞台は、人々が馬を駆り、剣を振るう時代。物語は、賭博の対象として剣闘士たちを闘わせるコロッセオで、ラムネが「二十人殺しのジャスガン」なる異名をもつ死刑囚と対峙するところから始まります。
少女と成人男性という体格差もあり、一見ジャスガンの勝利は揺るがないように見えた対戦も、この通り。
一刀両断、瞬殺です。剣闘士の頂点に立ち、「不敗の剣」と呼ばれた少女ラムネは、その実力が認められて奴隷商人に買われ、コロッセオを出ることになります。しかし、道中に起きた思わぬ事故により奴隷商人は死んでしまい、外の世界にひとり、放り出されることに。
この物語は、コロッセオの中で闘うことしか知らなかったラムネが、闘技場の外で様々な人とふれあい、知識を得て、人間として成長していく姿を描いていきます。
「外には水がたくさんある」という、外の世界で生きる人にとっては意識することもないほど当たり前の事実に対して、驚きの反応を示すラムネ。この描写が、いかにコロッセオの中の生活が外界と隔絶されていたかを伝えてくれます。
水だけでなく木に対しても新鮮なリアクションを見せる、何も知らないラムネが最初に出会ったのは、長年連れ添った夫を失い、ひとり森の中で暮らす婦人。彼女はまるで家族のように(と言ってもラムネは「家族」というものをよくわかっていませんが)、とても親切に接してくれます。
しかし、「ずっとこのお家に居ても良いのよ」と言ってくれた婦人との暮らしは、思わぬ形で終わりを告げます。引き金となったのは、盗賊集団による襲撃。婦人の土地と家を奪おうとした彼らを、ラムネは得意の剣で一刀両断。
これまでラムネが過ごしてきたコロッセオでは、敵を倒すと観客たちは拍手喝さい、大盛り上がりでした。今日もまた敵を倒し、婦人も喜んでいるだろうと顔を向けると――
ラムネが初めて交流を持った一般市民は、コロッセオの人たちとは違いました。人を殺しても喜ばないどころか、恐怖を感じて自分を遠ざけてしまう。このことで、ラムネは「人を殺す」という行為にこれまでとは違う感覚を植え付けられます。それは道徳的価値観や罪悪感といったものとは少し違うようなのですが、彼女にとっては大きな分岐点ともいえる体験だったのです。
この婦人と別れたあと、とある街に流れ着いたラムネは、指輪騎士なる存在と接触します。正確には、これから指輪騎士になろうとする存在。その男の名はレニー。
ラムネのただならぬ雰囲気を察知するあたり、単なる嫌な奴ではなく意外と見る目はあるようです。結局ラムネはレニーをいとも簡単に退けるのですが、トドメを刺す、というタイミングで、優しくしてくれたあの婦人のおびえた表情がチラついた彼女は、レニーを殺すことを躊躇して彼に逃げられてしまいました。
「この屈辱は忘れない」と心に誓うレニー。彼との出会いもまた、ラムネの人生を大きく変えることになりそう。
ただ闘い、人を殺し続けるコロッセオでの非人間的な暮らしから抜け出し、他人の優しさに触れ、あるいは乱暴者に襲われ、見知らぬ人に騙され……といった様々な体験を通じて、少しずつラムネは学んでいきます。
本作は、そんなラムネの人としての成長物語だけでなく、美しい戦闘シーンも注目に値します。
漫画では、動きを表現する際に「スピード線」と呼ばれる技法でその速さを見せる場合があり、それは本作でも使用されているのですが、これとは別にストップモーションのように一瞬の場面を切り取ることで、速さを表現する描写も。
今にも相手の喉元に剣が襲いかからんとする、美しい見開き。次のページでは、ラムネの剣によって右腕もろとも、首が切り落される場面が描かれています。
ザシュッ、ズバッといった擬音すらない静寂がより一層、「一瞬感」を強調し、そのスピードを感じさせます。この前後のシーンでは剣を掴んだり首が地面に落ちたりする際にパシ、ゴロ、という擬音があり、この首切りのシーンのみ無音なのです。読む側もつい息を止めてしまうような、大胆な引き算による演出。
また、ラムネには少し気になる点もあります。闘いの場面でラムネは、普段閉じている左目をうっすら開けているのです。コロッセオの支配人も、彼女の目は潰れていると認識していました。この左目には何か秘密がありそう。
ラムネの過去にはどんな秘密が隠されているのか。そして外の世界での多くの出会いや別れを経験していくであろう彼女が、これからどうやって人としての感情を取り戻し、どんな人生を歩んでいくのか。
凄腕剣士でありながら、まだまだいろいろなものが足りていないラムネのギャップが生む魅力も含めて、とても引きつけられる作品です。
レビュアー
ほしのん
中央線沿線を愛する漫画・音楽・テレビ好きライター。主にロック系のライブレポートも執筆中。
X(旧twitter):@hoshino2009