新婚から始まる大正恋愛浪漫譚
主人公は由緒ある士族・橘家に長年、女中として勤める「ふき」24歳。
19歳のころに結婚が決まっていたが、祝言(しゅうげん)の直前に故郷の父親が急死。多額の借金が発覚したことで縁談を破棄されてしまい、そのまま橘家で勤めながら、内職に精を出して自力で借金を返そうとしていた健気な女性だ。
働けど働けど丸ごと返済に消えるという絶望的な境遇ながら、決して明るさを忘れない。
むしろ日々の節約すらも楽しむ、という境地に至っている。働き者で、雇い主である橘家夫妻からの心証もよく、共に働く使用人たちにも信頼され、愛されていた。
橘家には、勇吾という次男がいた。
彼は伯父にあたる本家当主に世継ぎがいないことを受け、12歳のときに伯父に養子として迎えられ、養父とともに北海道に渡っていた。
そんな勇吾が6年ぶりに、帝国第一高進学のために東京に戻ってくるという。
幼いころに可愛がっていた6歳年下の「坊ちゃん」の里帰りを、楽しみにしていたふき。しかし実際に橘家に戻ってきた勇吾を見て、思わず唖然としてしまう。
身長も一気に伸び、一見して細く見えるが、がっちりした体躯。
甘えん坊で泣き虫で、いつもふきの傍にくっついていた「坊ちゃん」は、驚くほどの好男子(イケメン)エリート学生に成長していた。
一方の勇吾も、橘家に戻ってきた自分を、ふきが迎えてくれたことに少し驚いていた。
じつは勇吾は幼いころよりふきに思いを寄せていたが、すでに嫁入りしていると思い込んでいたのだ。ふきの抱える事情をほかの使用人から聞いた勇吾は、一計を案じる。
じつは、勇吾の帰郷には進学に加えて「嫁探し」という目的もあった。
卒業後に養父の事業の後継を託されていた勇吾は、後継者として周囲の認知を得るために、学生のうちに早急に「妻帯者」になる必要があったのだ。
養父が託した書簡にあった「結婚相手の条件」は、以下のようなものだった。
「健康快活 素直で温厚な精神
労働の苦労と 金の価値を知り 虚栄に走らず
時には夫を諫(いさ)め 導く度量を持つ 愛情に満ちた女」
勇吾にとって、それはふきのことだった。
そこで勇吾は、養父が託した「結婚相手の条件」の書簡に「尚、相手の身分は 一切問はぬ事とする」という文言をこっそり追加。ふきに「俺の妻になるか?」とプロポーズする。
はじめは冗談として流そうとするふき。しかし勇吾は再度、自身が本気であることを伝え、少々強引ながらふきから「はい…」の返事をゲットする。
この物語は明るく健気で働き者な6歳年上の姉さん女房と、聡明で優しく愛妻家である好男子(イケメン)エリート学生との「新婚から始まる大正恋愛浪漫譚」である。
なんだ、この可愛らしさしかない微笑ましき新婚カップルは
なんだ、この微笑ましくも完璧な夫婦は。
しかも勇吾は、少々、立場を利用して強引にふきから結婚の了承を取ったことを気にしており、新婚生活の初期にはまだ「夜の夫婦生活」には及んでいなかった。
「互いが完全に愛しく想い合って 最高の状態で結ばれたら…」と夢想する勇吾。
大正時代は「自由恋愛が花開いた時代」といわれることが多い。たしかに明治と比較すると、自由恋愛が盛んになった時代と言える。
とはいえまだ、明治から続いている「家制度」に縛られている人も多く、恋愛に対して批判的な意見も数多く存在していた。
特に勇吾のような上流階級の人間にとって、恋愛はまだまだご法度だったはず。ましてや結婚に至っては「親が決めた相手とお見合いで結婚する」のが当然の時代だった。
そんな時代のそんな環境にいる人間であることを考えると、勇吾は奇跡的なまでの夢想家(ロマンチスト)と言えるだろう。いや、むしろ「自由恋愛」への憧れが世の中に徐々に広がる中で、自らの境遇によりそれが許されない、という状況だからこそ、憧れが強くなるのかもしれない。読者目線では、二人はすでに立派に「愛しく想い合っている」のだが……。
街中を歩いていて、年上のふきと夫婦に見られない(お坊ちゃんと使用人に見られてしまう)ことを気にして、意識的に大人っぽい着物に身を包む大吾。
「夫婦に見えないなら、呼び方を変えましょう」と自ら提案しながら、勇吾に「“あなた”と呼んでほしい」と迫られると恥ずかしがって断ってしまうふき。
なんだ、この可愛らしさしかない新婚カップルは。