怪物は誰だ
数ページに1度は「私が間違ってました~」と思うマンガだ。こちらが想像していた方向とまるで違う場所に引きずられたかと思えば、また別の遠い場所へ引っ張り出される。読み終わったら泥まみれ。これが1話からずっと続く(ずみ子先生の『事件はスカートの中で』もまた、どうしようもなく泥まみれになって空を見上げたくなるような名作だ)。
『俺ン家の怪物』の舞台である谷村家には“怪物”がいる。ではそれは誰なのか。
紐パンを食い込ませながらオランウータンのように谷村家を見つめるこの女だろうか。
それとも谷村家で1年半引きこもっている“父”だろうか。実際、彼は息子の“秀吏(しゅうり)”から「怪物」と呼ばれている。
17歳の秀吏は、今にも木っ端みじんになりそうな家族をつなぎとめたくて必死な、無垢な子供……? いや、彼もまたこの限界家族の一員であり、怪物の候補だ。
長男・母代理・家事担当・高校生
2年前に秀吏の母親がこの世を去ってからというものの、秀吏の朝はこんな感じ。
ウサギ型のリンゴ、一口サイズのオムレツ、タコさんウインナー。制服の上からエプロンをかけて、立派な朝ごはんを作って、大好きな妹の“ほのみ”の世話をして……。
ほのみもお兄ちゃんが大好き。ちょっと大好きすぎないか?と思わなくもないが、まあ、仲はいいのだ。ただ、ほのみは声が出せない。そして父親はといえば、1年半ずっと自室に引きこもったまま。ドアチェーンで厳重に施錠した部屋の奥で中年男性が何をしているのだろう。
家庭の仕事をまるごとやってるヤングケアラーの秀吏を、大人が放置しているかというと、そうでもない。たとえば遠方で暮らす叔母さんは、ほのみを引き取ると言っている。
秀吏は「毎日はうまくいっている」と思おうとしていた。タコさんウインナーだって焼けるし。でも父親は引きこもったままで一切アテにならず、ほのみが声を出す気配はない。だから、叔母さんにほのみを預けようと思うが……? 大好きなほのみを失いたくないのだ。そして17歳なりに考えた策はこちら。
まだ見ぬ彼女の、のっぺらぼうな顔が薄ら寒い。子供の考える無邪気で無謀な計画だけど、誰がいきなり18歳の恋人と家庭を持ち、恋人の妹の母親代わりになるだろう。が、ここでまさかの人物が秀吏の前に現れる。
ガバーッと抱きついてきた“沙愛楽(さあら)”は、秀吏のかつての恋人。
秀吏が15歳のときに付き合っていた、うんと年上の元カノ、というか秀吏が通っていた中学校の先生。沙愛楽の顔は妙にあどけない。そして内面も恐ろしく「子供」だ。
15歳の秀吏を見境なく求める子供のような成人は間違いなく怪物だ。当然問題になる。沙愛楽は逮捕され、二人の関係は終わった。なのになんで沙愛楽はまた「会いたかった」なんて言って秀吏の前に現れたんだろう。
怪物はちょっと逮捕された程度じゃ変わらない! 秀吏はものすごい人間に恋をしていたのだ。でもなんだか私もこんな沙愛楽のことを「きらい」と言えない。嫌悪感すれすれの際どいところを歩かせるマンガだ。
秀吏を丸呑みしそうな沙愛楽の前では、秀吏の口から本音がダラダラ出る。本当はほのみと別れたくないこと。一緒にいたい人と、ずっと一緒にいたいこと。母親や元カノと離れてしまった自分が辛くてしょうがない。泣きじゃくる秀吏に沙愛楽はこんなことを言い始める。
さっきの秀吏が18歳になったら結婚するつもりだった“のっぺらぼう女”よりは、まあ、リアルだけど、でもあり得ないな……なんて思ったら!
沙愛楽は秀吏と結婚してほのみのお母さん代わりをするんじゃなくて、秀吏とほのみの父親と結婚して、法的にガチンコのお母さんになるのだという。そっち? 引きこもり真っ盛りのあの男と? 自分の元カノが?
秀吏がこのとき何を考えていたか、頭を切り開いて脳みそごと見てみたい。秀吏はとにかく素直になれない子供だ。子供みたいな無茶苦茶な大人に囲まれて大きくなってきた彼は、自分が何に欲望を感じているかを限界になるまで口にしない。
そんな秀吏は、元カノが自分の父親と結婚することが耐えられないのか、それとも自分が「怪物」と蔑んできた男が元カノと結婚することが憎らしいのか。
信じられないことがずーっと続くマンガで、その底知れなさがホラーですらあるが、よくよく考えたら「家族」という集団にはどこかしらホラー的な沼がある。なんで一緒にいるんだろうと思わないでもないのに、全てが「家族だから」に収束されるあたりが私にはホラーだ。
しかも信じられないことが続きすぎて、ありとあらゆる罪でベトベトすぎて、なんだか沙愛楽の結婚計画がマトモに思えてきちゃったよ。これが怪物のなせる技か。
このページのどこかに谷村家の怪物がいるハズなのだが、はたしてそれは誰なのだろうかとずっと考えている。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori