特別になれるなら、なんだってする
誰かからの関心を引くために道化となる人は少なからずいる。わざと無知なふりをしたり、わざと自分を傷つけたり、演出の規模も手法も無数に存在する。あざとい自己プロデュースと呼べば可愛いが、なんだかいたたまれない気持ちになる。
なんでだろう。その幼稚さと危うさにムズムズするからだろうか? 多少なりとも身に覚えがあるから虚ろな気持ちになるのかもしれない。
『事件はスカートの中で』の主人公“坂原優夏(さかはらゆなつ)”もそんな女子高生の1人だ。
ぜんぜん「よしっ」じゃないが、優夏としては完璧なのだ。注目をあびるためなら、「しょうがないなあ」とクラスの子に笑ってもらうためなら、スカートの裾をわざとパンツに巻き込んで、ドジで天然な女の子を演じる。彼女は、パンツを見せることが自分を特別な存在にする方法だと思っているからだ。読み進めるうちに「そんなことやめなよ……」なんていう私のお節介は消える。いろんな感情を遠くへぶん投げるマンガだ。
「シャッターが切られる音」を聞きたい
優夏は小学校3年生の頃から「ある音」が聞こえる。誰かが視線を送って、その対象をとらえた瞬間、カシャッとシャッターが切られる音するのだ。優夏がわざと漫画の主人公のようにドジを演じてみせると、その音は優夏に向けられる。優夏はこの「カシャッ」が快感でしょうがない。
だから高校3年生になった今もわざと寝癖だらけの髪(しかもあえてつけた寝癖)で登校し、ばかで無防備な発言を繰り返し、自分の教科書を見落とし、ど天然を演じているのだ。そしてその演出方法は先に紹介した「パンツを見せる」にまでエスカレートしている。
そんな優夏の心をざわつかせる少女がいる。“民岡ほとほ”。同じクラスのミステリアスな女の子で、やさしそうだけど底が知れない。
民岡さんは優夏のようにドジな演出なんてしないのに、ただそこにいるだけで、クラスからのシャッター音が鳴り止まない。つまり、優夏がなりたくてしょうがない「特別な人」に最初からなっている少女なのだ。シャッター音のためにパンツまで見せてる優夏の気持ちを思うといたたまれない。
優夏はますます「パンツを見せてシャッター音を聞かなきゃ」と焦るのだが、ここから彼女の自己プロデュースは大きく崩れることになる。
トイレでパンツが見えるよう仕込んでいるところを民岡さんに目撃されてしまう。「努力家だねぇ」の辛辣かつ余裕しゃくしゃくな言葉が痛い。消えてしまいたい!
私の特別な人になるの
優夏の「わざと」を知った民岡さんは、幻滅するでも軽蔑するでもなく「坂原さんのお手伝いがしたい」と言い始める。真意がまったく掴めないし、パンツを見せてた優夏が可愛く見えてくるようなことばかりするのだ。
タピオカの太いストローでスカートの中に息をふきかける民岡さん。(これに限らず、本作は小道具の描写がすごくいい。靴の並べ方ひとつからも物語が見えるのでゾクゾクする)
「新しい景色が見れる」と言って優夏にTバックを履かせる民岡さん。ときどき聞こえる「カシャッ」という音が優夏には特に大きく聞こえる。
この後おこる「事件」が私は忘れられない。
「怖!」というのもあるが、優夏にとっての「パンツ」の価値というか、幼さと無防備さがより明確にわかったからだ。そして優夏と民岡さんの特殊な関係もわかる。
思わせぶりな民岡さんの言葉は、優夏に繰り返し「本当の自分」「私の特別な人」というイメージを刷り込む。そう、不特定多数からの特別じゃなく、ある個人にとっての特別に誘うのだ。
民岡さんの過激な「お手伝い」によって次第に変わっていく優夏。いつの間にか優夏はむやみにパンツを見せる女の子ではなくなる。そして、うんと過激で湿度の高い存在になっていくのだ。もはや私が最初に感じていた「いたたまれなさ」なんて吹き飛んでしまう。
それにしても優夏と民岡さんはこれからどうなるのだろう。
民岡さんが不意に鳴らすシャッター音に一番ドキッとするはずだ。なぜならそのあとには必ず「事件」が湧き出てくるのだから。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。