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講談社社員 人生の1冊【62】村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
(著:村上 春樹)
奥村実穂 文庫出版部 40代 女
畏れのある小説が好き
大学時代、ラウンジでだらだらしていたときに決まって話題になったのが、「龍か春樹か」だった。もちろん両村上のファーストネームだ。
そのころ、私は断然、龍派だった。エッジが効いた切れ味。ハイブリッドエンジンのような文章。対して春樹は、女々しいんだよな、失踪とか死とかさ。と思っていたものだった。
ところが、人生は女々しいものだったのだ。想像していたより、よっぽど。
だいたい自分は不器用である。上手にダンスができない。
そんなこともわかっていなかった。
1988年、わたし26歳。村上春樹、39歳。
新刊の「踊るんだ、踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。」というコピーを見て、「えええ? ディスコで踊り続けろってこと??」と、そちら方向にぴんときた、バカっぷりである。
社会全体が異様に浮き足だっていた。今思えばだけど。
老舗デパートの広報は、「1000円のハンカチは安すぎて売れないのです。同じものを5000円にすれば売れるけど」と嬉しそうに声をひそめて言い、私たちは大手を振って「経費」を使いまくった。そんな時に書かれたこと自体がまず驚異である、憂うつと無常の物語。
主人公は『羊をめぐる冒険』の「僕」である。僕は離婚し、いく人かの女の人とも付き合ったが、手からこぼれ落ちる砂のように、みんなどこかへ去ってしまう。
ある日、僕はかつて泊まったことがあり、今でもたびたび夢にみる「いるかホテル」を再び訪れた。もう一度世界と繋がるために──。
虚ろで陽気だった26歳の私は、これを暗示として読んだ。暗示的な暗示である、という他には、とりたてて感じることはなかったのだ。
その後も、物も雑誌も売れ続け、「文化的雪かき仕事」は増す一方。ひと月の仕事時間が軽く300時間を超え続けるに至って、ついに、龍と春樹を数冊抱えて、ニューヨークに失踪した。
合法的失踪。30歳のとき、半年間。
あんたは見失い、見失われている。何処かに行こうとしても、何処に行くべきかがわからない。あんたはいろいろなものを失った。いろんな繋ぎ目を解いてしまった。でもそれに代わるものがみつけられずにいる。それであんたは混乱しているんだ。
羊男がいるかホテルで、僕に語りかける言葉である。
繋ぎ目を解いて放浪している私に、ゆっくり沁みわたっていった。
それから私は、双子を授かるというスペシャルミラクル技で再び世界に繋がった。
この双子は、恩寵以外の何ものでもない。
でもね、何をそんなに気にする? どんなものもいつかは消えるんだ。
我々はみんな移動して生きているんだ。僕らのまわりにある大抵のものは僕らの移動にあわせてみんないつか消えてゆく。それはどうしようもないことなんだ。
恩寵を受けても、すぐそばでとても理不尽なことが、暗い口を開けて蹲っていることに変わりはない。
つい先ごろも、長い間封印してきた「死と別れ」に、私たちは嫌というほどまみれてしまった。
本当は途轍もなく小さな存在で、脆くて死にやすい私たち。
畏れのある小説が好きだ。
小説を読んだって、読まなくたって、「おそろしいこと」は起こる。
でも、小説があればどうにか繋がれる、生きていけるのだ。
『羊をめぐる冒険』から4年、激しく雪の降りしきる札幌の街から「僕」の新しい冒険が始まる。奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」はその暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく。70年代の魂の遍歴を辿った著者が80年代を舞台に、新たな価値を求めて闇と光の交錯を鮮やかに描きあげた話題作。
既刊・関連作品
執筆した社員
奥村実穂【文庫出版部 40代 女】
※所属部署・年代は執筆当時のものです
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