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【生前退位の本音】腐りきっていた「明仁」を救った「正田美智子」

知られざる天皇明仁
(著:橋本明)
2017.02.03
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──現在議論されている、生前退位のご希望を特措法で処理する考えに私は反対する。皇室典範をじっくり練り上げる必要があるからだ。現典範に欠けているところを項目別に挙げるならば、天皇定年制、養子縁組の実現、天皇の発言の場を設けること、の三点だろう。──

今上陛下の譲位(退位)をめぐるさまざまな言論が出ている中で、橋本さんは譲位に対してこう提言しています。その心にあるのは「制度的で無機質な存在が天皇ではあるまい」という強い思いです。その思いは橋本さんが学友として長い期間に渡って皇太子(今上陛下)とともに過ごしてきたところから生まれてきたものです。

橋本さんがこの本で描いたのは少年から青年へ、立太子、ご成婚、沖縄訪問、そして昭和天皇の名代としての外国訪問までの皇太子の姿です。間近に見、また、少年期のいたずらを含めてともに歩んだ橋本さんだから知ることができた皇太子時代の素顔、肉声が溢れています。

すぐに感じるのは“孤”の中で育ったということです。
──皇太子は三十四年春のご成婚で一家を構えるまで、肉親と日常生活を共有せず、たまに相互に往来していただけであった。(略)皇太子は未婚時代を奉仕者あるいは学友たちを相手に生活され続けたのであって、およそ肉親の愛情に親しく触れる機会には乏しかった。剛健な気質を養い、将来天皇道に座していくためには不可欠との判断が、孤高の環境をこの青年に押しつけたわけである。──

このような暮らしは皇太子にどのような影を落としたのでしょうか。高校生の頃の友人から見た11項の「殿下の悩み」が取り上げられています。
1.監禁されていること。即ち自由に解放されないこと。
2.独り暮らしで、肉親または同地位の者と居を同じくしないこと。
3.見物的な気分で見られること。
4.ジャーナリストに嘘を書かれること。
5.世間体をいつも考えなければならないこと。
6.夫人に接する機会が僅少なこと。
7.理想を持てないこと。
8.皇嗣の必然として、自分の姉妹のように将来における自由の保証がなく、かえって束縛されることが多くなること。
9.過大視されること。
10.生活が単調になるに伴って、自分の生活が自分にとってつらくなること。
11.友または外部の者との交友関係に関すること。

高校生同士での観察ということを差し引いてみても皇太子の置かれていた環境の特異性が窺い知れます。

このような生活を「不自然とみた最初の外部の人」が皇太子の家庭教師となったエリザベス・グレイ・ヴァイニング夫人でした。
──ヴァイニング夫人は皇太子が親元を離れて生活している現実に矛盾を覚え、これこそ最良の帝王修行……と伝統にしがみつく宮内官僚に激しく反発した。──
この夫人と皇太子の交流は『天皇への道』でも詳細に綴られています。

やがてさらにヴァイニング夫人以上に皇太子を大きく変えた女性が現れました。正田美智子さん(現皇后陛下)です。
──非人間的な家庭生活を強いられてきた皇太子は青春期、どうしようもなく情緒不安定で、どちらかといえば暗い生活に落ち込みやすかった。(略)この時期、同学年の間で、皇太子ほど陰々滅々な男は他に見当たらなかった。老成して希望もなくくさり切っていた。正田美智子との出会いがこうした皇太子を根底から変えた。──

同級生相手に「世襲の職業はいやなものだね」、あるいは「一生、結婚できないのかもしれない」と嘆じていた皇太子を変えたのは「正田美智子との出会い」でした。皇太子は「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」とも漏らされていたそうです。“孤”の中で生きてきた皇太子の熱い想いを感じ取れます。

この美智子妃との結婚によって皇太子はひとつ理想(夢)をかなえることができました。そしてその上に立ってさらなる理想、あり得べき皇室(天皇像)の姿を求めるようになったように思えます。美智子妃との結婚後の皇太子の活動は「理想を持てないこと」と級友に評された姿と打って変わった、「理想の皇室」を実現しようとしたものでした。沖縄訪問、慰霊のための戦跡訪問、被災地の訪問……等々は、その実践だったのです。

沖縄について触れた中に興味深い記述があります。明治時代の県令・上杉茂憲が記した『沖縄事情視察記』に皇太子は心を動かされたというものです。
──明治の国家意思で行われた政策の一つ、琉球処分が、いまだに皇太子を苦しめているのではないだろうか……そう思わせる材料が上杉県令の報告ににじんでいるからである。上杉が琉球処分に反対であったらしいことは、彼の小文に読み取れるし、上杉は志なかばにして県令から降ろされてもいた。──

そこに橋本さんは皇太子のある意志を見ています。
──皇太子が平和を愛し、文化国家日本の支柱たらんとする裏には、日本古来の天皇の在り方をねじまげた明治への激しい反発と内省があるとみてよい。気性のうえでは曾祖父明治大帝から受け継いだ近代日本の本流を踏まえながら、内省に内省を重ねて改善への一歩一歩を日々刻印する皇太子。重い十字架を背負うがゆえに、真剣勝負に望む毎日であろう。そのことを考えないと、皇太子について何も語れない感じがする。──

「重い十字架」とはなにより近代日本の負の遺産、戦争を避けられず、敵味方多くの死者を生んだ政治の罪です。

皇太子時代からの「内省に内省を重ねて改善への一歩一歩を日々刻印する」姿は即位後の今も続けられています。憲法を遵守し、象徴とはなにか、なにをなすべきかと考え続け、行動されている姿がそれではないでしょうか。その陛下の精神史・生活史を知る上での必読書がこの本だと思います。

今上陛下が示している“内省力”に比べて、私たちは陛下の譲位(退位)についてとことん考えているのでしょうか。いつの間にか退位の候補日(!?)がメディアに流れました。逆立ちした、つじつま合わせです。その日程(!)に合わせて法整備をしようというのなら、そのどこに“人間性への思い”があるのでしょう。その思いの上にたって譲位(退位)を考えるべきではないでしょうか。

ヴァイニング夫人の教えにこのようなことがありました。
──夫人は学生の一人ひとりに“自立”を求めた。自ら考え、判断し、そして行動に移すのが市民の基本姿勢だと教えた。新聞など活字に組まれているものを頭から信じてはいけないと説いた。必ず一歩退いて事象を見つめ、独自の思想をまとめたうえで自分の態度を決めるのが、責任ある市民の姿勢だと語った。──
私たちは今、“市民”であることを問われているようにも思えます。

  • 電子あり
『知られざる天皇明仁』書影
著:橋本明

「ご学友」が見た、悩み多き天皇の青春の日々が甦る。仲間に「チャブ」と呼ばれ、「世襲の職業はいやなものだね」と自らの将来を嘆く。同級生と猥談に興じながら、「一生、結婚できないのかもしれない」と漏らす。ミッチーブームに際しては誹謗中傷も受けた美智子さまを守り、両親と離ればなれだった幼少期から、家庭を作ることを願う。将来の天皇という、あらかじめ定められた運命のなかで、青年・明仁皇太子は何を学び、どう成長していったのか。「生前退位」問題に揺れる今、人間・天皇の姿に迫る。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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