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ごく普通の暇人が、過激な“愛国”ヘイトスピーチに走る理由

ネットと愛国
(著:安田浩一)
2016.06.14
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先月、ヘイトスピーチ対策法が成立しました。この法は防止に向けた啓発活動や、被害者向けの相談体制の拡充などが中心で罰則はありません。この法でどれくらいヘイトスピーチがなくなるのかはこれからの課題だと思います。またその一方で自分と異なる意見、感想を持つ人の揚げ足をとってヘイトスピーチと決めつけるような誤解があります。そのような典型的な誤解例が、この本の文庫版あとがきで記されていますので読んで欲しいと思います。ヘイトスピーチというレッテルを貼って論者をからかう(からむ)、嫌みしか感じられない例があげられています。

ヘイトスピーチという行動を激しくとっていた代表的団体が、この本で追跡している在特会(在日特権を許さない市民の会)です。激しい在日朝鮮人への差別、悪罵で知られるようになった団体です。

といってもなにも彼らは特異なグループではありません。安田さんの取材で明らかになった彼らの姿はおそろしいくらいに普通の人間のものです。取材中も激した言動をする人たちは少なかったといいます。むしろそれゆえに、彼らがなぜこのような激しいアジテーションや暴力的な行動を起こすのかを考える必要があると思います。誤解をおそれずに言えば、実は私たちと地続きのところに彼らがいるようにも思えるのです。「在特会は時代を映す鏡である」と同時に私たちを映す鏡でもあります。それがよく分かるノンフィクションです。

彼らはネットの力を利用して同調者を増やし、組織を大きくしました。掲示板投稿から始まり、動画投稿、ライブ配信等を利用して組織を拡大していったのです。このネット利用のキーワードはより過激であること、より刺激的であるということでした。多岐にわたる情報があふれているネットの世界で「注目」され、世間の耳目を集めるにはこの方法が近道だったのです。

安田さんのインタビューを受けた会員がこう語っています。
──動画の力はすごいですよ。ストレートに言葉が伝わってきます。(略)たしかに言葉はきついかもしてません。ですが、そこまでしなければ誰にも注目してもらえないじゃないですか。──

さらにこの会員はこうも語っています。
──僕は拉致事件がどうしても許せなかったんです。いったい北朝鮮とはどんな国なのか。ネットで検索を重ねるなかでヒットしたのが在特会の動画。これによって北朝鮮のことだけでなく在日の存在もまた、日本を危機に追いやっているのだと理解することができました。真実を知ってしまったんですよ。──

ここで使われた“真実”という言葉は、「在特会に関係する者の多くが好んで使う言葉の一つ」だそうです。この“真実”の「リソースとなったのは、いずれもネット」からのものでした。既成のメディアによって“隠蔽”されてきた“真実”が「ネットの力によってはじめて世の中に知られることになった」と彼らは感じて(信じて)いるのです。

この“真実”はネットの中にしかないという思い込みはどこからくるのでしょうか。膨大な情報量が集積しているネットの世界ですが、逆にネットでは自分の知りたいことしか知ることができないという面があります。あるいは自分の感情、嗜好にあったものに出会えるチャンスが多いともいえます。実は自分の感情、嗜好にあったものを“真実”と呼んでいることが多いのです。

安田さんのインタビューを受けた会員から感じられるのは、ネットで救われたというような人々の姿でした。彼らは、現実から追いやられ、疎外され、居場所を見つけ出せなかったものたちではないでしょうか。かつての在特会シンパのひとりがこう答えています。「連中は社会に復讐してるんと違いますか? 私が知ってる限り、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」と。

つまり彼らの「胸奥」には「他者に『認められたい』という気持ちが渦巻いているようにも推察される。ストレートにいえば“承認欲求”」があるのだと。“真実”とは自己に肯定感をもたらせているものを指しているのです。差別的で、弱者抑圧的、暴力的言辞あろうとも、それが自己肯定につながるものならば、なんであろうと“真実”なのです。

ここに在特会がはらんでいる大きな問題があります。ヘイトスピーチ対策法でヘイトスピーチが減ったとしても(そうあってほしいのですが)問題は残ります。

──なにかを「奪われた」と感じる人々の憤りは、まだ治まっていない。静かに、そしてじわじわと、ナショナルな「気分」が広がっていく。それは必ずしも保守や右翼と呼ばれるものではない。日常生活のなかで感じる不安や不満が、行き場所を探してたどりついた地平が、たまたま愛国という名の戦場であった。──

そうであるならば、一団体の一現象ではなく、ここは日本がはらんでいる大きな問題が潜んでいるように思えます。奇矯な団体の姿を追うと同時に私たちが直面している今を考えさせてくれる力作ノンフィクションがこの本です。

ところで「愛国無罪」などという人がいますが、
──何も持ち得ぬ者にとって、「愛国」は唯一の存在証明にもなる。18世紀のイギリスの文学者、サミュエル・ジョンソンは、「愛国心は、卑怯者の最後の隠れ家である」という有名な警句を残した。だが、本当にそうなのか。在特会を見ている限りにおいて、愛国心とは寂しき者たちの拠(よ)り所(どころ)ではないのかと感じてもしまうのだ。──

さらに勝海舟がこんなことを言っています。「憂国の士という連中がいて、彼らが国を滅ぼすのだ」と……。さらにこんな言葉もあります。「最高の愛国心とは、あなたの国が不名誉で、悪辣で、馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ」(ジュリアン・バーンズ)と。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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